発句也松尾桃青宿の春

東京日本橋にある松尾芭蕉の句碑

ほっくなり まつおとうせい やどのはる

芭蕉の句碑延宝6年(1678年)に俳諧宗匠となった松尾芭蕉の当時の俳号は「桃青」。翌年の正月に、その心意気を詠んだと言われている。
日本橋近くの小田原町(現:室町1丁目)は、29歳の寛文12年(1672年)に伊賀上野から上京し、延宝8年(1680年)まで住んでいたと言われる場所。俳号を卜尺とした小沢太郎兵衛の借家である。魚市場に近く、多くの魚屋が並んでいた場所であったと考えられている。現在では、佃煮の老舗「日本橋鮒佐」の店先に句碑が立っているが、芭蕉はほぼこの辺りに住んでいたらしい。

▶ 句碑の場所をグーグルマップで確認する

芭蕉句碑巡り 2018年3月12日

芭蕉句碑五街道の起点として、日本の文化経済の中心として繁栄した日本橋。19代目とされる橋は国の重要文化財にも指定され荘厳な造りではあるが、上部を首都高が跨ぎ窮屈そうな佇まい。今ようやく首都高の地中化計画が動き出し、2020年以降に着工するとのこと。
芭蕉は、橋の北側二筋目にある小田原町の借家に帰るために、4代目となる日本橋を往来していたことだろう。現在ではその正面に三越日本橋本店がどっかと腰を下ろし、車と人が頻繁に行き来してはいるが、銀座ほどの賑わいはない。芭蕉の時代には、日本一の繁華街だったと言われているが…。

芭蕉句碑三越前の国道4号を渡り小路に入ると、小さいながらも多くの老舗が軒を連ねる。建物こそ近代的であるが、裏通りにはまだ、江戸期からの伝統が生きている。その中のひとつ日本橋鮒佐を覗いてみると、美しい佃煮が上品に並べられている。文久2年(1862年)の創業だから、芭蕉からかなり時代は下る。幕末の北辰一刀流剣士・佐吉が初代となり、佃煮の原型を創り出したとも言われる歴史ある名店だ。その店先に「発句也松尾桃青宿の春」の句碑はあるが、その文字は、当時の俳人住所録を記した尾張鳴海の庄屋・下里知足の手によるもの。

芭蕉句碑恐らく芭蕉の時代には希薄だった上質さを纏う路地を抜けて顔を上げると、桜が咲いている。早咲きのこの桜はオカメザクラ。カンヒザクラとマメザクラを交配したもので、イギリスの桜研究家が生み出したものだという。日本橋室町を東に抜けた通りが並木となっているが、そこを行くビジネスマンは路駐の車をよけることに必死で、気に掛けることもなく潜り抜ける。ただ、舞い降りた鳥はそこに一声。風はまだ冷たくもあるが、花は、芭蕉の生きた街に339回目の春を告げている。

さまざまのこと思い出す桜かな  芭蕉



▶ 松尾芭蕉の句碑


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