古池や蛙とびこむ水の音

東京深川にある松尾芭蕉の句碑

ふるいけや かわずとびこむ みずのおと

芭蕉の句碑深川芭蕉庵跡とされる芭蕉稲荷境内に句碑がある。俳句の代名詞とも言えるこの句は、1686年(貞享3年)閏3月刊行の「蛙合」初出で、この年に深川芭蕉庵で行われた句合で詠まれたものと考えられている。芭蕉42歳。芭蕉がここへ移ってきた時には湿地が残り、詠み込まれた「古池」が、芭蕉庵の傍にあったと言われている。
芭蕉はこの句を自身の説く不易流行の代表ととらえており、門人の各務支考は「情は全くなきに似たれども、さびしき風情をその中に含める風雅の余情」ととらえた。新たな時代の始まりを告げる句となった。

▶ 句碑の場所をグーグルマップで確認する

芭蕉句碑巡り 2018年4月16日

芭蕉句碑深川芭蕉庵は、杉山杉風に草庵の提供を受けた松尾芭蕉が、延宝8年(1680年)から晩年の元禄7年(1694年)までを過ごした場所。もっとも、延宝8年(1680年)から江戸の大火で焼け出されるまでの第一次芭蕉庵、天和3年(1683年)から奥の細道の旅に出るまでの第二次芭蕉庵、元禄2年(1689年)から晩年までの第三次芭蕉庵と、付近を転々としており、没後3年の元禄10年には松平遠江守の武家屋敷に取り込まれた。最後の庵は、池を前面にして3部屋。俳号の由来となったバショウも移植していたという。
幕末の混乱下、場所が分からなくなっていたものの、大正6年の津波により芭蕉の愛でた石蛙が顔を出したため、そこに芭蕉稲荷を祀った。現在では、ビルの谷間の赤い祠付近が史跡芭蕉庵跡となっている。なお、発見された石蛙は、北に300mほど行ったところにある江東区芭蕉記念館に展示。その代わりとしてやってきた蛙は、境内のあちらこちらで様々な表情を浮かべている。

芭蕉句碑中でも、手水横と奥の細道旅立参百年記念碑(平成元年建立)の間に座する蛙は印象的。旅路の困難を取り除くために祀られたか、赤石がまるで宝石のような存在感を漂わせている。その近くには旅姿の老人が休んでいたが、ここを目的地としてやってきたのか、ここから旅立っていくのかは不明。ただ、その姿を見れば芭蕉の足跡を辿っていることだけは明らか。

芭蕉句碑しかし悲しいかな、ここは隅田川の川風が通るとは言え、その隅田川は運河として海の色を呈している。潮風に洗われる場所で、果たして本当に古池の句が生まれたのだろうか?津波に発見された蛙を根拠とする庵なら、翁の住んでいた場所はもっと湿地然とした別の場所にあるのかも知れない…そんなことを考えながら歩いていると、芭蕉庵史跡展望庭園の中に小さな池を発見。そこには、多数のおたまじゃくしが泳いでいる。顔を上げると、向こうに芭蕉翁の銅像。その視線を辿ってみると、海という名の大きな古池が広がっていることに気が付いた。

から井戸へ飛びそこなひし蛙よな  鬼貫



▶ 松尾芭蕉の句碑


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