旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる

大阪にある松尾芭蕉の句碑

たびにやんで ゆめはかれのを かけめぐる

芭蕉の句碑元禄7年(1694年)9月、弟子の之道と洒堂のもめ事を仲裁するため、大坂の之道宅に来たものの体調を崩し、10月5日には南御堂前の花屋仁右衛門方へ移った芭蕉。死の4日前の10月8日、「病中吟」との前書きで「旅に病て夢は枯野をかけ廻る」と詠んだ後、支考に「なほかけ廻る夢心」とどちらが良いかと問うた。支考は、身体に障ってはならぬと考え、先の句と即答したと「芭蕉翁追善之日記」にある。
南御堂境内にある句碑には、「旅に病でゆめは枯野をかけまはる」とある。これは、八十村路通編「芭蕉翁行状記」に依るものか。句碑は、芭蕉没後150年を記念して、天保14年(1843年)に建立。なお、「此附近芭蕉翁終焉之地」の碑が、南御堂前の御堂筋の緑地帯の中にある。

▶ 句碑の場所をグーグルマップで確認する

芭蕉句碑巡り 2011年11月7日

芭蕉句碑芭蕉の命日は、新暦で11月28日。20日ほど早い南御堂は寂としており、冬場には枯れてしまうバショウの葉が青々としている。人通りの絶えない外の街路樹が黄葉し始めたのとは対照的。そんな静けさの中に、件の句碑が立っている。
芭蕉句碑
芭蕉最後の句とされる「旅に病で」を辞世ととらえるかどうかは、昔から議論されてきたこと。「病中吟」の前書から読み解けば、死は期せずして訪れたものであるから辞世ではないとの見方がある一方、芭蕉は全ての句を辞世として詠みあげたのだという声もある。
このように、辞世が重要な意味を持つのが我が国の常であったが、今では、遺産を整理するために遺言をしたためる方に力を注ぐ。ベッドの上でしか死ぬことが出来なくなった現代においては、死をつき詰めることができなくなった悲劇ゆえに、生きざまを明日に伝えることが出来なくなった。

今、海外では辞世に注目する向きがある。ネット上に立ち上げられたスレッドには多くが集まり、名ある辞世を鑑賞し、意見交換している。彼らは、避けては通れぬ「死」と向き合い、日本人の忘れてしまった「言霊」の中に生きようとしているのだ。



▶ 松尾芭蕉の句碑


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA