この里は気吹戸主の風寒し

息栖神社にある松尾芭蕉の句碑

このさとは いぶきどぬしの かぜさむし

芭蕉の句碑貞享4年(1687年)8月14日、鹿島根本寺の仏頂和尚の招きに応じ、松尾芭蕉はこの地方を訪れている。建立時期は文政年間(1830年頃)。小見川梅庵・乃田笙々ら、この土地の俳人によって立てられた。句にある気吹戸主は句碑の立つ息栖神社(いきすじんじゃ)の御祭神(現在は久那戸神)で、イザナギの禊の折に化成した神。息栖神社は、鹿島神宮・香取神宮とともに東国三社の一で、江戸時代には「下三宮参り」と称して伊勢神宮参拝後に巡拝する慣習があった。また、「東国三社詣」と称して訪れる人も多かったという。日本三霊泉に数え上げられ、縁結びに効能があるという忍潮井の、噂を聞きつけたカップルなど、現在でも参拝者があとを絶たない。


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芭蕉句碑巡り 2016年6月27日

芭蕉句碑芭蕉が、河合曾良と宗波を伴い「鹿島詣」に発ったのは8月14日。布佐(現在の我孫子市にある)の漁師のところに宿をとろうとしたが、魚臭くて、たまらず夜舟を出した。月を見ながら利根川を下り、おそらく息栖の津に上陸したのだろう。鹿島へは徒歩2時間の息栖神社の御前。仏頂和尚との約束で、夕べには中秋の名月を楽しむことになっている。
冒頭の句は「鹿島紀行」の中には入らない。「寒し」とあるから季節感も合わず、芭蕉の句であるとの確証も得られない。しかし秋の早朝、川辺の風はさぞや冷たかったであろう。約束の15日は、昼から雨になったというから尚更。

芭蕉句碑この句には、終末の匂いが漂っている。罪穢れを、底根の国に坐す速佐須良比売に受け渡すという気吹戸主は、人をあの世へと誘う神だ。
奇しくも、その日を境に月は欠け行き、空に寒風が満ちていくのだ。今に残る社叢の騒がしさの中には、芭蕉の耳もとをかすめたものと同じ響きもあるだろう。
しかし、息栖神社の前を行き来したという数千隻の船は無く、当時の賑わいも感じることはできない。時折やってくるカップルが、社殿に頭を下げて去っていくのみ。気吹戸主の吹く息は、その後ろ姿を木の葉で彩る。
葉を散らしているのは、オガタマの木。招霊と書いてオガタマ。幸運をもたらすとされる木は、晩春に花をつけ、黄心樹として春の季語ともなる。過ぎ去った花の季節のあとで、気吹戸主の涼やかな呼気が、青々と茂る葉の上に玉のような輝きを充満させて、時の彼方へ押しやっていく。

生きるに於いて避けられぬ過ちも、俯瞰すればアクセント。いつかあの世へ着岸した時、それを幸運として祖霊に報告もできよう。そう思えば、今夜の酒もグイグイすすむ。そうしていつやら夜道をふらつき、碑陰の句を口遊んでいた。

風はなを啼や千鳥の有かぎり  乃田笙々



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