松山や秋より高き天主閣

松山城にある正岡子規の句碑

まつやまや あきよりたかき てんしゅかく

正岡子規の句碑子規の故郷である伊予松山の城は、姫路城と並ぶ大規模な連立式平山城として知られており、中腹まではロープウェイやリフトが運行されている。
その終点は長者ケ平という平坦地で、土産物屋の向こうに句碑が見える。それがこの句碑で、昭和43年5月に、「松山市観光俳句ポスト」第1号として建てられた。そのため、自然石に見えるこの句碑は、中が空洞の銅製という非常に珍しいもの。現在では「俳都松山俳句ポスト」と名称を変えて、訪れる者の句を受け付けている。選句は、四季折々に8回。入選句は愛媛新聞紙上に発表されるとともに、この句碑の横に掲示されている。

ところで、この句は、帝国大学在籍中の明治24年(1891年)秋の句。正岡子規に松山城を詠んだ句は数あるが、最も知られているのがこの句だろう。

▶ 句碑の場所をグーグルマップで確認する

正岡子規句碑巡り 2019年1月3日

正岡子規句碑正岡子規の生家に近い松山市駅。そこを始発とする道後温泉行の路面電車は、左手に松山城を見上げながら県庁を過ぎて、大街道という名の路上駅に着く。
ここから右手には、松山一の繁華街が広がっているが、それとは逆のロープウェイ通りを、ウィンドウショッピングしながら5分ほど歩く。すると、ロープウェイ乗り場が現われる。けれども、向こうに見事な石段が見えるから、汗を流せばいい。東雲神社の脇を抜けて約10分で、件の子規の句碑にたどり着く。
ここまではロープウェイとリフトも通っているが、歩いてもそれほど苦にはならない。武家に生まれた子規ならば、同じ道を幾度か往復もしただろう。
正岡子規句碑
しかし、そこから天守閣が見える場所まで移動するのにひと苦労。石垣に囲まれた曲がりくねった道を行けば、古の苦労も偲ばれる。
ようやく上り詰めたところに天守を見た時、子規のように句作はできぬと、ため息が出た。

それにしても、この句は心地よい。秋だというのに郷愁を誘うものはひとつもなく、空は、収穫を祝う音色に満ちている。
その雰囲気は、この街が持つ特徴というもんなんだろう。時は過ぎて100年が経過した冬になっても、松山には雲一つ見られない。そして城に登れば、四方に美しい都市美が見渡せるのだ。

正岡子規句碑この城は、この見事な眺望も然り、その優美さは、日本の城を代表すると言ってもいいほどのものなのだが、城郭マニアの間での評判は高くない。大きな戦を経ていないために、ストーリー性に乏しいという。しかしそれは、平和を築き上げてきた完璧な堅牢さが秘められてのことだろう。
そんな街に生まれた子規だから、無邪気な美しさに満ちている。病に侵されても、その生き方は明快。この句のように、高みを目指して起立していた。

今では、子規のような文学者は生まれない。芸術とは、屈折したものを表現するものだと嘯き、世は苦悩の表出を待ちわびる。そこにあるのは鮮やかな景色ではなく、月夜に浮かぶ影のようなものだ。

子規逝くや十七日の月明に  高浜虚子
インターネット歳時記

▶ 松尾芭蕉の句碑


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