与謝蕪村(よさぶそん)

江戸俳諧中興の祖 与謝蕪村

菜の花や月は東に日は西に

安永3年3月23日(1774年5月3日)、六甲の摩耶山で詠んだ句。

▶ 与謝蕪村の俳句

 与謝蕪村年譜(旧暦12月25日 蕪村忌・春星忌)
1716年 享保元年 摂津国東成郡毛馬村(大阪市都島区毛馬町)にに生まれる。(*1)
1736? 元文年間 江戸に下り、早野巴人に俳諧を学ぶ。
1742年 寛保2年 絵を宿代としながら東北の松尾芭蕉の足跡を辿る。蕪村の号を用いる。
1744年 寛保4年 「歳旦帳」で初めて蕪村の号を用いる。
1758年 宝暦8年 京都に居を構え、与謝を名乗るようになる。
1770年 明和7年 夜半亭を継承。夜半亭二世に。
1784年 天明3年 旧暦12月25日、京都市下京区仏光寺通烏丸西入ルの居宅で死去。享年68。墓所は京都市左京区の金福寺。(*2)
*1 本姓は谷口、あるいは谷。名は信章。通称寅。「蕪村」とは陶淵明の詩「帰去来辞」に由来すると考えられている。別号に宰鳥・夜半亭。画号は春星・謝寅など。
*2 死因は心筋梗塞と見られる。辞世「しら梅に明る夜ばかりとなりにけり」