俳句

久保より江(くぼよりえ)

猫の俳句が印象的な漱石や鏡花の小説のモデル

1884年(明治17年)9月17日~1941年(昭和16年)5月11日。愛媛県松山市出身。清原枴童高浜虚子に師事。ホトトギス同人。猫の俳句が印象的な女流俳人で、夏目漱石や泉鏡花の小説のモデルともなった人物。有名な医学博士である久保猪之吉に嫁ぎ、柳原白蓮との華々しい交流でも知られ、高浜虚子も高く評価していた俳人であるが、現代ではあまり話題に上らないことを残念に思う。

【所属結社】ホトトギス
【出版物等】嫁ぬすみ(1925年) より江句文集(1928年)

▶ 久保より江の俳句
▶ 猫の俳句と季語

 久保より江年譜
1884年 明治17年 9月17日 愛媛県松山市に鉱山技師の父・宮本正良と母ヤスの長女として生まれる(妹が一人)。
1889年 明治22年 松山市中の川に引っ越す。
1895年 明治28年 松山市二番町の母方の祖父母・伯母の家(愚陀仏庵)に預けられ、松山高等小学校の夏休みに夏目漱石に出会う。9月には、転がり込んで来た正岡子規とも出会う。
1899年 明治32年 上京し、東京府立第二高等女学校に学ぶ。
1902年 明治35年 卒業後、医学博士(耳鼻科)である久保猪之吉に嫁ぎ、福岡へ移る。
1918年 大正7年 4月、清原枴童に師事。この頃から柳原白蓮と交友。
1938年 昭和13年 東京に移る。
1939年 昭和14年 11月12日に夫・久保猪之吉死去。
1941年 昭和16年 5月11日 脳溢血のため死去(享年57)。

ねこに来る賀状や猫のくすしより
猫の子の名なしがさきにもらはれし
この月よをちかた人にまどかなれ

夏目漱石「吾輩は猫である」の雪江のモデルとして知られ、「夏目先生のおもひで」の中で、小説の主人公が雉猫であると証言している。
漱石が寄宿していた愚陀仏庵が、祖父・上野義方の住居で、伯母が漱石の身の回りの世話をしていた。引越による転校を拒み、その祖父母の家に預けられることになり、漱石・子規・虚子と出会った。

もとは和歌を嗜んでおり、柳原白蓮とは、和歌を中心にして幅広い交流があった。泉鏡花との交流も知られており、「櫛巻」「星の歌舞伎」のモデルになっている。
句作の中心は、30代後半から45才くらいまでの短期間ではあったが、杉田久女に、「女流俳人として今の世に尊敬している人は久保夫人です」と言わしめている。

ベゴニアと猫をこよなく愛し、猫の秀句でも知られる。飼っていた猫に、カアチャン(本名:グレーフィン)と呼ばれていた猫がいる。引っ越した時に屋根裏で暴れていた捨て猫で、その猫をもとにミミー・大黒・パン・小僧などと呼ばれる猫が生まれて飼うに至った。

随筆集「嫁ぬすみ」、句文集「より江句文集」がある。「より江句文集」は、俳句を始めて10年記念に出たもので、昭和3年5月8日、京鹿子発行所から京鹿子叢書第5篇として、水原秋櫻子の「南風」、草城句集に続いて出版されている。前書きは高浜虚子である。