原石鼎(はらせきてい)

「鹿火屋」創刊・主宰 原石鼎

頂上や殊に野菊の吹かれ居り

「ホトトギス」大正元年12月号次巻頭。「これほど野菊の本情を捕えた句は、他に知らない。季語でも地名でも主観語でもないただの言葉を「頂上や」と無雑作に置き、「殊に」とさりげなくそのものの存在を取り出し、「吹かれ居り」と軽く結んださまが、野菊そのものの姿を彷彿とさせるのだ。この軽さ、さりげなさは、後のちまで石鼎の句の特徴の一つと思われる。」(山本健吉評)

▶ 原石鼎の俳句

 原石鼎年譜(12月20日 石鼎忌)
1886年 明治19年 3月19日、島根県簸川郡塩冶村(出雲市)の医師の家に三男として生まれる。(*1)
1912年 大正元年 「ホトトギス」に投句。医者になれず勘当される。
1915年 大正4年 ホトトギス社に入社。
1917年 大正6年 ホトトギス社を退社。「東京日々新聞」嘱託。
1918年 大正7年 原コウ子と結婚。
1921年 大正10年 「草汁」「平野」「ヤカナ」を統合し「鹿火屋」創刊・主宰。
1951年 昭和26年 12月20日、死去。65歳。
*1 本名は鼎。初号・鉄鼎。別号・ひぐらし。