河合曾良(かわいそら)

「奥の細道」同行の芭蕉の弟子 河合曾良

行行てたふれ伏とも萩の原

元禄2年(1689年)、松尾芭蕉の「奥の細道」に同行し、山中温泉に滞在していたが、曾良は腹を病み、伊勢の長嶋にゆかりがあったので先に立った。その時に書き置いた句。「奥の細道」収録。

▶ 河合曾良の俳句

 河合曾良年譜
1649年 慶安2年 信濃国高島城下の下桑原村(現長野県諏訪市)に生まれる。(*1)
1661年 寛文元年 養父母が亡くなり、伊勢国長島の住職・深泉良成の元に引き取られる。
1668年 寛文8年 長島藩主松平康尚に仕え、河合惣五郎を名乗る。
1689年 元禄2年 松尾芭蕉の「奥の細道」の旅に同行し、「曾良旅日記」を残した。
1709年 宝永6年 幕府の巡見使随員となり九州を廻る。
1710年 宝永7年 旧暦5月22日巡見途上、壱岐国可須村風本(現長崎県壱岐市勝本浦)で死去。享年62。戒名は賢翁宗臣居士。墓所は壱岐島の能満寺。
*1 高野七兵衛の長男。幼名は与左衛門。両親死後、伯母の養子となり、岩波庄右衛門正字と名乗る。