わがきぬにふしみの桃の雫せよ

京都伏見にある松尾芭蕉の句碑

わがきぬに ふしみのももの しづくせよ

芭蕉の句碑歴史の町・伏見の下油掛町西岸寺に、「蕉翁塚」としてこの句碑はある。文化2年(1805年)初冬建立、刑部卿貞揮毫。
西岸寺は、商売繁盛の御利益で知られ、油懸地蔵(あぶらかけじぞう)と呼ばれる浄土宗の寺。松尾芭蕉は貞享2年(1685年)に、三世住持であり重頼門下の俳人でもある任口上人(如羊・宝誉)を訪ねている。その時に詠まれたこの句が、その年に成った「野ざらし紀行」に掲載されている。
周囲は、桃の産地。安土桃山時代を築いた伏見城跡地が「桃山」と呼ばれたように、明治のころまでは桃の産地だったと言われている。しかし、現在では桃よりも酒の産地としての方が有名。
日本三大酒処のひとつに数え上げられる伏見は、秀吉の時代より酒造を盛んにし、西岸寺の周辺にも大手の蔵が立ち並ぶ。中でも人気の「守破離」などを醸造する松本酒造は、この芭蕉の句に因んだ「桃の滴」を醸造しているのだ。


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芭蕉句碑巡り 2017年12月29日

芭蕉句碑日本の歴史を語る上で外すことのできない土地・伏見には、様々な時間が混在している。西岸寺は、寺田屋騒動で知られる寺田屋の真北100メートルのところにあり、電気鉄道事業発祥の地ともなった場所に面している。その表の通りは、伏見酒蔵小路・竜馬通りと交差し、海外を含めた観光客でごったがえしている場所だ。
芭蕉句碑
「野ざらし紀行」の旅で、足をのばしてまで芭蕉が訪ねた任口上人は、談林派の俳人であり旧知の仲。芭蕉41歳のその年、80になる。翌年4月13日にはこの世を去ってしまうから、訪ねた時にはかなり衰弱が進んでいたのかもしれない。
そんな二人を、この寺に今なお残る油懸地蔵は目に焼き付けていることだろう。注がれた油で黒変する皮膜の中には、芭蕉の手によるものもあるだろう。
そう思いつつ、近くで買った「桃の滴」のカップ酒を油瓶の並ぶ地蔵堂に捧げてみる。が、よく見れば、そのラベルの桃は実になっている。この句の「桃」は「実」ではなく「花」だ。

芭蕉は、この句に後継となる決意を秘めているように思えてならない。桃は、芭蕉こと「桃青」をも指す。「伏見の桃」とは言わずもがな。
「わたしが来たのだから、あなたの志を最後まで貫き通して下さい。」
同志である任口上人の思いを結実させると誓いをたて、この句を捧げた―――そんな芭蕉がいたのではないかと思えてくるのだ。

新年の御慶とは申けり八十年  任口



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