俳句

志太野坡

しだやば

蕉門十哲の門弟

寛文2年1月3日(1662年2月21日)~元文5年1月3日(1740年1月31日)。越前国福井(福井県福井市)出身。宝井其角に俳諧を学び、松尾芭蕉に師事。芭蕉亡きあと、無名庵を高津野に移し、高津野々翁と称す。西国を遊歴し、中国・九州地方に蕉風を流布させた。

草庵の急火に詠んだ「わが庵の桜も寂し煙り先」という書付を見つけた盗人が、目前の様を野坡に求めて、「垣潜る雀ならなく雪の跡」と詠んだという伝説がある。辞世は「若水や冬は薬にむすびしを」。

▶ 志太野坡の俳句

 志太野坡年譜(旧暦1月3日 野坡忌)
1662年 寛文2年 旧暦1月3日、越前国福井に生まれる。(*1)
1685年? 貞享2年? 蕉門に入門。
1694年 元禄7年 小泉孤屋・池田利牛とともに「炭俵」を刊行。
1740年 元文5年 旧暦1月3日死去。享年78。
*1 本姓は信田。通称は半次郎。野馬・樗木社・樗子・紗方・紗帽・浅生・無名庵高津野々翁・照笛居士などの号を持つ。江戸で越後屋両替店の番頭をした。後に浪花に移住。