春を詠んだ俳句例
初春の俳句例
春風や闘志抱きて丘に立つ 高浜虚子
大正2年(1913年)2月11日の三田俳句会(東京芝浦)で、新傾向俳句に対抗して詠まれたもの。これを機に、新たな俳句の時代が生まれたと言っても過言ではない。季語は「春風」。
仲春の俳句例
赤い椿白い椿と落ちにけり 河東碧梧桐
新聞「日本」明治29年(1896年)3月11日号に発表された碧梧桐の代表句。正岡子規が「明治二十九年の俳句界」で取り上げたことにより有名になり、地面に落ちた椿を詠んだものか、落ちつつある椿を詠んだものかでよく議論される俳句である。季語は「椿」。
晩春の俳句例
チゝポゝと鼓打たうよ花月夜 松本たかし
病で能楽師の道を断念しながらも、能に通じる美意識が散りばめられた俳句を生み続けて、「たかし楽土」とも呼ばれる世界が生まれた。俳句の世界で「花」といえば「桜」を指し、晩春の季語となる。この句の季語は「花月夜」。
夏を詠んだ俳句例
初夏の俳句例
萬緑の中や吾子の歯生え初むる 中村草田男
「萬緑」という季語は、この俳句によって生まれた。北宋の王安石の「万緑叢中紅一点」から得られたものだという。一面の緑という意味ではあるが、この俳句の景は「新緑」を映す。
仲夏の俳句例
さみだれのあまだればかり浮御堂 阿波野青畝
大津の名所を詠み、1931年の「日本新名勝俳句」で風景賞を得た俳句で、芭蕉の名句「五月雨の降り残してや光堂」を下地にしている。季語は「五月雨」で、旧暦5月に降る雨、つまり梅雨に降る雨の事。
晩夏の俳句例
瀧落ちて群青世界とどろけり 水原秋桜子
7月17日の秋桜子の命日は「群青忌」というが、この俳句から名付けられたもの。この句に詠み込まれているのは那智の滝。「群青世界」は、仏教用語の「金色世界」から着想を得たもの。季語は「瀧」。梅雨を経て、瀧の水量も増える。
秋を詠んだ俳句例
初秋の俳句例
別るるや夢一筋の天の川 夏目漱石
明治43年(1910年)8月6日、修善寺に療養に行くことになった漱石が、松根東洋城との待ち合わせが上手くいかず、不安の中で詠んだ俳句。季語は「天の川」。初秋の七夕の景を詠んだもの。
仲秋の俳句例
西国の畦曼珠沙華曼珠沙華 森澄雄
昭和49年(1974年)、姫路市の西国二十七番札所書寫山圓教寺で詠まれた俳句。「西国」に西方浄土を匂わせる。「曼珠沙華」を音読みすると、サンスクリット語で「赤い花」を意味する。「彼岸花」を指す仲秋の季語。
晩秋の俳句例
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 正岡子規
「海南新聞」明治28年(1895年)11月8日号に発表された当初の反響はそれほどでもなかったが、大正5年(1916年)には法隆寺境内に句碑が建てられるなどして、現在では最も知られた有名句のひとつとなっている。「柿」は晩秋の季語である。
冬を詠んだ俳句例
初冬の俳句例
海に出て木枯らし帰るところなし 山口誓子
昭和19年(1944年)11月19日、療養先の伊勢富田(現三重県四日市市)で詠まれた俳句。誓子は、「特攻隊の片道飛行のことを念頭に置いていた」と、句作の背景を語っている。季語は「木枯らし」。
仲冬の俳句例
一片のパセリ掃かるる暖炉かな 芝不器男
昭和4年(1929年)12月25日の芝不器男の絶筆。クリスマスのこの日、病床の不器男を慰めるために開かれた句会で詠まれた。不器男は、この2カ月後に亡くなっている。季語は「暖炉」。
晩冬の俳句例
冬蜂のしにどころなく歩きけり 村上鬼城
耳を患い、心耳の詠み人と呼ばれた鬼城の代表句で、境涯の句に開眼した時期に詠まれた俳句である。ホトトギス大正4年(1915年)1月号に発表されている。季語は「冬蜂」で、三冬の季語となる。