井上士朗 いのうえしろう 寛政の三大家のひとり 寛保2年3月10日(1742年4月14日)~文化9年5月16日(1812年6月24日)。 尾張国守山村(愛知県名古屋市)に生まれる。別号に芙蓉楼・枇杷園・朱樹・松翁など。久村暁台に師事。尾張俳壇の中心人物。 医師である叔父の養子となり、宝暦7年(1757年)に医師として独立。医師としては、井上専庵と名乗る。暁台に後継の打診があるも、医業のために断ったと言われる。本居宣長の門人でもある。終詠は、「足る事を知れや田螺の侘住居」。 ▶ 井上士朗の句