相生垣瓜人

飄々とした俳句で瓜人仙境を開いた

あいおいがきかじん

1898年(明治31年)8月14日~1985年(昭和60年)2月7日。兵庫県加古郡高砂町(高砂市)出身。句集「明治草」他で第10回蛇笏賞。「瓜人仙境」という句境に到る。「馬酔木」同人。

▶ 相生垣瓜人の俳句


 相生垣瓜人の年譜
1898年 明治31年 8月14日、兵庫県加古郡高砂町(高砂市)に生まれる。
1920年 大正9年 東京美術学校製版科を卒業。浜松工業学校の図案科教員となる。
1928年 昭和3年 「ホトトギス」に瓜人の号で投句。
1930年 昭和5年 「馬酔木」「かつらぎ」に投句。
1933年 昭和8年 水原秋桜子の「ホトトギス」離反に従い「馬酔木」同人となる。広島県立福山工業学校に転勤。
1937年 昭和12年 「馬酔木」選者。
1939年 昭和14年 浜松工業学校に転勤。
1947年 昭和22年 「あやめ」に参加。
1948年 昭和23年 「馬酔木」復活に伴い活動を再開。
1950年 昭和25年 百合山羽公と「海坂」を共同主宰。
1955年 昭和30年 句集「微茫集」刊行。浜松工業高等学校を退職。
1975年 昭和50年 句集「明治草」刊行。
1976年 昭和51年 「明治草」他で第10回蛇笏賞。
1985年 昭和60年 2月7日、心筋梗塞で亡くなる。享年86。
1986年 昭和61年 遺句集「負喧」出版。
*1 本名は貫二。瓜人の号は、苦瓜和尚(石濤)に由来。兄にホトトギス同人の秋津。