たけのうちげんげんいち
俳家奇人談の著者
寛保2年(1742年)~文化元年(1804年)8月25日。播磨国(兵庫県)出身。別号に竹窓・有無軒。会田吾山に師事。「俳家奇人談」「続俳家奇人談」を著す。
成人前に、病で視力を失った。同郷の白馬という人が、俳諧をするように勧めるも拒んでいたが、「心にて見るがみるなり月の色」と諭された句に感激し、「暑さわするる風に驚く」と付けた。
以後、大坂・江戸で活躍。江戸では最初、深川で会田吾山に学んだ。勾当となった後に京橋の西鍛冶街に落ち着き、居を有無軒として多くの俳人と交わり、詩歌や和漢の伝記を学んだ。辞世は「牽牛花やしぼめば又の朝ぼらけ」。谷中の長久院に葬られた。「玄玄居士略伝」に、以下のようにある。
牽牛花やしぼめば又の朝ぼらけ
うつむいて見るありあけの庵 玄玄男青青
露の間に十歳あまりの秋たちて 玄玄妻不英
玄々一の死後の文化13年(1816年)に「俳家奇人談」、天保3年(1832年)に「続俳家奇人談」を、息子の蓬盧青青が編集し、出版された。
▶ 竹内玄玄一の俳句