同じ親を持つ俳句と川柳
同じ五七五の17音節を持つ俳句と川柳の違いは、「季語」の有り無しで判断されがちであるが、季語の無い俳句もあるし、季の詞を用いた川柳だって存在する。そもそも、その違いを判断することは、双子の名前を言い当てるようなものなのかもしれない…
「俳句」の概念は時代とともに移り変わり、定型に縛られない自由律俳句も人気ではあるが、制限の中に現れる詩情に、俳句の真の面白さがあるとも言えるのではないだろうか。そんな俳句の基本要素は以下の3つ。
1)五七五の17音節
2)季語
3)切れ
また、「俳句」と「川柳」はよく混同され、「新俳句」と呼ばれるものは川柳への接近も認められる。両者とも俳諧の連歌を親とするが、俳句は様々な制約のある「発句」の別名のようなものであるのに対し、川柳は「前句附興行」から誕生した遊戯性の高いものである。前句附興行の点者である柄井川柳の名を冠し、下の句(七七)で出された題目に対して上の句(五七五)を付けるものが本来の「川柳」なのである。
川柳においては題目に対する主眼の置き所が重要であり、気持ちをダイレクトに反映させながら世情を詠みあげることも可能になる。
対して俳句では、挨拶句である発句をベースにしていることもあり、いきなり心情を吐露することは野暮である。対象を観察することに力を注ぎ、そこに自らの心を発見するものが「俳句」なのである。つまり、自らの視点を伝えるものが川柳だとすれば、俳句は自らの視点を確認するものだと言えるだろう。
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