此松の実ばえせし代や神の秋

鹿島神宮にある松尾芭蕉の句碑

このまつの みばえせしよや かみのあき

芭蕉の句碑貞享4年(1687年)8月25日に成った「鹿島紀行」は、桃青こと芭蕉44歳の旅行記。鹿島の根本寺に戻っていた仏頂和尚の招きに応じ、仲秋の名月を鑑賞することになっていた。が、当日は雨。無月の空を眺め「鹿島紀行」に載せる句を詠んだ後、数日の滞在で鹿島神宮にも参拝したと見える。「神前」としてこの句を掲載している。
仏頂和尚は芭蕉より3才年長で、根本寺第21世住職。鹿島神宮との領地争いでしばしば江戸に出向き、芭蕉庵にも近い江戸深川の臨川寺に滞在した。そこで芭蕉は仏頂和尚に出会い、禅の手ほどきを受けている。
句碑は、鹿島神宮奥宮の正面、売店兼茶屋の脇に立っている。建立は明和3年(1766年)4月。


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芭蕉句碑巡り 2016年6月27日

芭蕉句碑鹿島神宮境内には、芭蕉の句碑が2つある。古いのが奥宮正面のこの句碑で、蕉風復興に力を尽くした白井鳥酔によって立てられた。しかしそれは、茶屋の入り口に埋もれるように在って、立て看板がなければ気付かなかっただろう。奥宮とともに写真に入れようとしたが、どの角度に立っても絵になる構図を得られない。
因みに奥宮は、慶長10年(1605年)、徳川家康の奉納。元和5年(1619年)、徳川秀忠により現在の本殿が奉建されたため、それまで本殿だったものを当地に移した。よって芭蕉は、今と同じ佇まいの社殿に手を合わせているはずだ。
芭蕉句碑
悠然と構える奥宮は、その御前で要石方面と御手洗池方面に分かれる参拝客を見送っている。ほとんどの参拝客は、その見事なまでの社叢に圧倒されて、奥宮の存在に気付く人は少ない。覆いかぶさるように枝を伸ばす御神木の杉も、天に届くかと思えるほどに素晴らしい。
ただ不思議なのは、冒頭の句に「松」が詠み込まれたこと。御神木のみならず、いたるところに立派な杉が聳えており、それを引き立てる椎や樅に目が行くことはあっても、松を気にかけることはない。もっとも、七不思議の一として「根上がり松」というのがあるらしいのだが、現在は不明で、特産だった松の箸も作られていない。社叢の勢いを見る限り、芭蕉の時代にも松は劣勢であっただろう。芭蕉句碑

ならばこの句の「実ばえ」は、「見栄え」である。武甕槌大神降臨の松原をイメージして、その樹勢の衰えを歌ったか。鹿島神宮は、「鹿島立ち」で知られる旅立ちの社。芭蕉はこの句に老い先を託したと、想像してみる。
足を要石に向けると、枯枝を謳ったもうひとつの芭蕉の句碑が見えてきた。老木もまた実ばえする。霊魂を運ぶ鴉が、次の日の出を待っている。

枯枝に鴉のとまりけり秋の暮  芭蕉



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この里は気吹戸主の風寒し

息栖神社にある松尾芭蕉の句碑

このさとは いぶきどぬしの かぜさむし

芭蕉の句碑貞享4年(1687年)8月14日、鹿島根本寺の仏頂和尚の招きに応じ、松尾芭蕉はこの地方を訪れている。建立時期は文政年間(1830年頃)。小見川梅庵・乃田笙々ら、この土地の俳人によって立てられた。句にある気吹戸主は句碑の立つ息栖神社(いきすじんじゃ)の御祭神(現在は久那戸神)で、イザナギの禊の折に化成した神。息栖神社は、鹿島神宮・香取神宮とともに東国三社の一で、江戸時代には「下三宮参り」と称して伊勢神宮参拝後に巡拝する慣習があった。また、「東国三社詣」と称して訪れる人も多かったという。日本三霊泉に数え上げられ、縁結びに効能があるという忍潮井の、噂を聞きつけたカップルなど、現在でも参拝者があとを絶たない。


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芭蕉句碑巡り 2016年6月27日

芭蕉句碑芭蕉が、河合曾良と宗波を伴い「鹿島詣」に発ったのは8月14日。布佐(現在の我孫子市にある)の漁師のところに宿をとろうとしたが、魚臭くて、たまらず夜舟を出した。月を見ながら利根川を下り、おそらく息栖の津に上陸したのだろう。鹿島へは徒歩2時間の息栖神社の御前。仏頂和尚との約束で、夕べには中秋の名月を楽しむことになっている。
冒頭の句は「鹿島紀行」の中には入らない。「寒し」とあるから季節感も合わず、芭蕉の句であるとの確証も得られない。しかし秋の早朝、川辺の風はさぞや冷たかったであろう。約束の15日は、昼から雨になったというから尚更。

芭蕉句碑この句には、終末の匂いが漂っている。罪穢れを、底根の国に坐す速佐須良比売に受け渡すという気吹戸主は、人をあの世へと誘う神だ。
奇しくも、その日を境に月は欠け行き、空に寒風が満ちていくのだ。今に残る社叢の騒がしさの中には、芭蕉の耳もとをかすめたものと同じ響きもあるだろう。
しかし、息栖神社の前を行き来したという数千隻の船は無く、当時の賑わいも感じることはできない。時折やってくるカップルが、社殿に頭を下げて去っていくのみ。気吹戸主の吹く息は、その後ろ姿を木の葉で彩る。
葉を散らしているのは、オガタマの木。招霊と書いてオガタマ。幸運をもたらすとされる木は、晩春に花をつけ、黄心樹として春の季語ともなる。過ぎ去った花の季節のあとで、気吹戸主の涼やかな呼気が、青々と茂る葉の上に玉のような輝きを充満させて、時の彼方へ押しやっていく。

生きるに於いて避けられぬ過ちも、俯瞰すればアクセント。いつかあの世へ着岸した時、それを幸運として祖霊に報告もできよう。そう思えば、今夜の酒もグイグイすすむ。そうしていつやら夜道をふらつき、碑陰の句を口遊んでいた。

風はなを啼や千鳥の有かぎり  乃田笙々



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