俳句が詠める街
根を張る土壌はそこになくても、酒を注げば花は咲く。是、場末に生きる騒客の、四季の巡りを知る処。
vol.2 目黒|美人がいたまち恋の町
朱引と墨引の中間にあり、江戸であって江戸ではない場所、それがかつての目黒であった。江戸五色不動の一つ、瀧泉寺の目黒不動があるために、江戸時代では、ちょっとした旅行気分が味わえたという。明治時代には、門前に筍飯屋が立ち並び、目黒を訪れた正岡子規が「筍や目黒の美人ありやなし」の俳句を残している。付近は孟宗竹の産地で、筍飯は「さんま」と並ぶ目黒名物であった。
といっても、本当の目的は信仰や食欲にあるのではなく、どうやら給仕の女性。各店は、客を呼び込むために美人を立たせ、子規は、牡丹亭の十七、八の娘に恋をした。奥手な子規には空しい恋となったが、それは生涯で一番ときめいた瞬間だったのかもしれない。
* 上画像は「武蔵百景之内目黒不動」(小林清親1884年:国会図書館デジタルコレクションより)
俳句でハイク|目黒不動の門前町にときめきを探して
もう恋など忘れて何年もたつが、思い立って目黒に出かけることに。しかし、最初から失敗。JR目黒駅に降り立てば、そこは目黒区ではなく品川区。「不動前」という東急の駅もあったのに、「目黒」の名に惑わされて迷路に入り込むことに…
【俳句でハイク1 権之助坂商店街】
JR目黒駅を西に出れば、昭和の香りに遭遇。古びた赤い片側アーケードがついたその街の名は、権之助坂商店街。急坂の行人坂を避けるバイパスとして、元禄時代に菅沼権之助が開いた坂は、ビジネスマンが立ち止まる飲食店街となった。その一店の暖簾をくぐり、中華そばで腹ごしらえ。しかし、そこに女性は存在しない。麺の上のメンマをつまんで、期待ばかりを膨らませている。
【俳句でハイク2 かむろ坂】
目黒川を渡って南下して約15分、かむろ坂に出た。吉原の遊女・小紫は、惚れた男の死を知って、目黒の墓前で自害した。小紫についていた禿(かむろ)は小紫を追うが間に合わず、傷心の帰路、暴漢から逃れるために池に身を投じて亡くなった。都市化にも、入水した地につけられた「かむろ坂」の地名だけは残り、ひとつの恋愛が導いた不幸な出来事を語り継いでいる。
【俳句でハイク3 目黒不動門前の比翼塚】
小紫と恋仲だったのは、人を斬って鳥取を出奔した権八。吉原では金に窮し、辻斬を重ねることに。目黒の東昌寺で改心した権八は、故郷に帰って両親の他界を知り、自首して処刑された。それを知った小紫は、東昌寺に建てられた墓の前で後追い心中してしまう。歌舞伎の題材ともなった有名な事件で、東昌寺は廃寺となったが、目黒不動門前に比翼塚が建てられている。
【俳句でハイク4 目黒不動こと瀧泉寺】
目黒の由来となった目黒不動は、808年に慈覚大師が安置したもので、その不動尊を本尊として瀧泉寺が創建された。江戸で3本の指に入る富くじ興行の場としても賑わい、行楽客で溢れるラスベガスのような時代もあった。境内の愛染明王は、良縁成就の明王として名高い。ただ、とてつもなく恐ろしい御顔をした明王様である。腹をくくらぬ者は祈らぬ方がよい。
【俳句でハイク5 目黒不動商店街】
かつて目黒駅付近の行人坂から目黒不動門前までは、ぎっしりと店が立ち並んでいたというが、現在では道順も分からないほどにまばらである。かろうじて目黒不動商店街と名付けられた通りがあるが、車の通行の方が多いくらいである。この中に、「目黒のさんま」や「筍飯」を提供する店を探してみるが、見つからない。ましてや、若い女性が給仕する飲み屋など…
【俳句でハイク6 見つからなかった大国家】
筍飯の名店に、角伊勢・内田屋・大国家などがあったとされる。廃れたならせめてもと、大国家跡地にあるという由緒の石碑を探してみた。しかし、それさえも見つからず、ある店舗の前に置かれていた大黒様だけ写真に収めて帰ってきた。高浜虚子の俳句が、一晩中頭の中を駆け巡っていた。「目黒なる筍飯も昔かな」・・・筍飯は夢だった…
目黒の門前に、まだ見ぬ恋は破れた。再びJR目黒駅を目指すと、道端に「お七の井戸」が。
八百屋お七は、恋のために火を起こして処刑された。恋心に火がつけば、人は身を滅ぼすものなのかもしれない。目黒のお不動様は、そのことを教えるために導いてくれたのだと思う。感謝を込めて一句、
「動かざる心をもってひとり虫」(泰)
苦界ただよふ萍に もつれて零る夜の雨
酔夢覚めゆく朝には 浮かびをるなり青蓮華
水中花ちひさき魚およがせて (六)