三秋の季語 草虱
セリ科ヤブジラミ属ヤブジラミのことで、高さ約50センチ。全国の野原の藪などに生える二年草。
花期は5月から7月頃で、白い花を咲かせる。秋になる果実は鉤状の刺毛を持ち、衣類にくっつく。そのため「虱」の名を含む。秋の季語になっており、主にその果実を詠む。
キシメジ科キシメジ属キシメジ亜属マツタケ節のキノコの一種で、秋の赤松林などで子実体(キノコ)が見られる。日本では高級食材として利用され、「香り松茸味しめじ」の慣用句でも知られる。マツタケオールによる独特の芳香を持っている。ただし、海外では不快な臭いだとされることが多い。
松茸が採れる山は「松茸山」と呼ばれ、痩せた乾燥気味の赤松林であることが多い。松茸の傘が開き切ってしまえば、味も香りも落ちるため、地表から少し顔を出したタイミングで採取しなければならない。近年では松枯れなどの影響で国産のものは減少しており、韓国や中国産のものなどが多く出回っている。
古くから日本人に親しまれてきた食材であり、万葉集にある
高松のこの峰も狭に笠立てて 満ち盛りたる秋の香のよさ
も、松茸を歌ったものだとされている。
俳諧歳時記栞草(1851年)では秋之部八月に分類され、「山城の北山の産、最も佳也」とある。
鴇(とき)・桃花鳥(とうかちょう・つき)
ペリカン目トキ科トキ属トキは、学名を Nipponia nippon(ニッポニア・ニッポン)といい、日本を代表する鳥であった(ただし国鳥は雉である)。しかし、明治時代以降の羽毛目的の乱獲や農薬による影響などにより減少し、1981年に佐渡の5羽が保護されて野生絶滅した。1999年には中国産トキの贈呈を受け人工繁殖が始まり、2008年からは野生復帰の試みもなされている。現在までに数百羽が放鳥され、野生で生活している。なお、トキに亜種などはなく、中国産トキも日本産と同一種である。
朱鷺は秋の季語とされるが、秋には大きな集団をつくって行動していたことによる。朱鷺色の語源にもなった鳥であるが、その色が目立つのは春から夏にかててだと言われている。また、その色から桃花鳥とも呼ばれ、日本書紀には陵墓名として使われている。
古くは「つき」と呼ばれており、墓を表す奥津城(おくつき)と関係する鳥だったのかもしれない。古代エジプトではトートと呼ばれ、知恵を司る神だとされる。
チドリ目シギ科に属する鳥の総称で、シギ科もヤマシギ属など16属に分かれ、約100種が知られている。代表種はヤマシギで、北海道では夏鳥、西日本では冬鳥となる。田圃でよく見られるタシギは、渡りの途中に飛来する旅鳥であり、春と秋によく見かける。
万葉集では大伴家持が
春まけてもの悲しきにさ夜ふけて 羽振き鳴く鴫誰が田にか棲む
と春に歌っているが、新古今和歌集に歌われ三夕の和歌としても知られる西行の
心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ
により、秋の景物との色合いが濃くなり、「連珠合璧集」(室町時代:一条兼良)では秋季に分類された。
西行法師ゆかりの地である湘南の大磯鴫立沢には、日本三大俳諧道場の一つに数え上げられる「鴫立庵」がある。1664年に崇雪が西行の旧跡に結んだ草庵で、後に大淀三千風が入り、第一世庵主となっている。
鴫には、熟慮しているように見えることをいう「鴫の看経」、回数が多いことをたとえる「鴫の羽掻き」といった慣用句がある。
「鴫」の字は国字であり、奈良時代には、田に来る鳥の代表種と見られていたことが分かる。シギの語源には諸説あるが「繁き」からきているとも言われている。
蜻蜓(やんま)・鬼やんま(おにやんま)
トンボ目不均翅亜目ヤンマ科の蜻蛉の総称であるが、オニヤンマ科やミナミヤンマ科、ムカシヤンマ科の蜻蛉、エゾトンボ科やサナエトンボ科に属する蜻蛉の大型のものもヤンマと称することがある。
通常は「蜻蛉」の子季語として秋の季語に分類されるが、種類によって活動時期は異なる。概ね、活動のピークは7月頃となるが、ヤンマの代表格であるギンヤンマの成虫は4月頃から11月頃まで見られ、オニヤンマは5月から10月頃まで見られる。
ヤンマ科に属するヤブヤンマやマルタンヤンマ、カトリヤンマなどは、黄昏時に捕食のために大群で飛び回る黄昏飛翔を行うことが知られている。オニヤンマは全長10センチを超える日本最大の蜻蛉であるが、黒地に黄色の紋を持つ大型のヤマトンボ科の蜻蛉は、誤認されて「鬼やんま」と呼ばれることが多い。
古くは、その飛翔力を称えて「ヱンバ(笑羽)」などと呼ばれていた。山に多く見られることから「ヤマ」と「ヱンバ」が絡まって、「ヤンマ」と呼ばれるようになったとの説がある。ちなみに「鬼やんま」の名は、いわゆる鬼のパンツの柄をもつところからきている。