かがのちよじょ
朝顔の句で知られる俳女
1703年(元禄16年)~1775年10月2日(安永4年9月8日)。加賀国松任(石川県白山市)の表具師福増屋六兵衛の娘として生まれた。号は草風、法名は素園。
奉公先の主人・岸弥左衛門に弟子入りをして、12歳の頃から俳諧を始める。17歳の頃、諸国行脚をしていた各務支考の指導を受け、「ほととぎす郭公とて明にけり」の句で認められる。さらに、支考の門人・仙石廬元坊の弟子となる。また、伊勢の中川乙由にも師事。画も達者で、北越の呉俊明に学んだ。
大変な美人であったとされ、美濃の俳人・魯九は、「千代女を尋て 旅人に落馬なさせそ美人草」の書簡を残した。52歳には剃髪し素園と号し、72歳の時には与謝蕪村の「玉藻集」の序文を書いた。
現代でもよく知られている「朝顔につるべとられてもらい水」「蜻蛉釣り今日は何処まで行ったやら」など、千代女の有名句には、出所がよくわかっていないものもある。特に「蜻蛉釣り」の句は、亡き子のことを詠んだといわれているが、結婚したかどうかも分かっていない(一説では18歳で足軽の家に嫁ぎ、子どもを1人産んだが、25歳で夫に先立たれ、子供も亡くしてしまって実家にもどったという)。
辞世は「月も見て我はこの世をかしく哉」。
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