俳句

中川乙由

なかがわおつゆう

伊勢風俳諧の中心人物

延宝3年(1675年)~元文4年(1739年)8月18日。伊勢(三重県)出身。通称は喜右衛門。伊勢神宮の御師で、名を慶徳図書という。後に改名して中川梅我、中川乙由となる。
庵を麦畑の中に造営し、麦林舎と号す。松尾芭蕉岩田涼菟各務支考に師事し、麦林派を提唱。岩田涼菟はじまるその俳風は、伊勢風と呼ばれる。

初心の者に「発句とはどのようなものか?」と問われ、「ただ眼前の風様を言い侍るのみ」と答えたと伝わる。そして、鍬を持って寒そうに畑に向かう男を指さして「百姓の鍬かたげ行くさむさかな」と詠んだという。
平俗軽妙な作風を特徴とするが、低俗と見なされることがあり、美濃派の支考とともに「支麦の徒」とそしられることもあった。

▶ 中川乙由の俳句

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