松尾芭蕉(まつおばしょう)

蕉風を確立した俳聖・松尾芭蕉

夏草や兵どもが夢の跡

「おくのほそ道」の旅に立った芭蕉が、平泉で元禄2年5月13日(新暦6月29日)に詠んだ「おくのほそ道」を代表する句。

旅に病んで夢は枯野をかけ廻る

没する4日前、元禄7年10月8日に大坂御堂筋の花屋仁左衛門の貸座敷での病中吟。芭蕉最後の俳諧とされる。芭蕉翁終焉之地に近い南御堂境内には、この句の句碑が建つ。

▶ 松尾芭蕉の俳句
▶ 松尾芭蕉の句碑

 松尾芭蕉年譜(陰暦10月12日 芭蕉忌・時雨忌
1644年 寛永21年 伊賀国(*1)に生まれる。本名・松尾宗房。
1662年 寛文2年 藤堂新七郎良清の嗣子・良忠に仕官し、良忠とともに北村季吟に師事。俳諧をはじめた(*2)。
1672年 寛文12年 「貝おほひ」を上野天神宮(三重県伊賀市)に奉納。
1675年 延宝3年 江戸へ下り(*3)、西山宗因の九吟百韻に参加した折「桃青」の俳号を初めて用いる。
1677年 延宝5年 現・文京区関口芭蕉庵に住み、宗匠となった。
1680年 延宝8年 深川に居を移す。
1683年 天和3年 「むさしぶり」で芭蕉の俳号を初めて使用。
1684年 貞享元年 「野ざらし紀行」の旅に出た。
1687年 貞享4年 「鹿島詣」の旅に出た。
1687年 貞享4年 「笈の小文」の旅に出た。
1689年 元禄2年 西行500回忌に当たり「おくのほそ道」の旅に出た。
1694年 元禄7年 5月に江戸を発ち、大坂御堂筋の花屋仁左衛門の貸座敷で10月12日に没(*4)。遺骸は近江の義仲寺に運ばれ、木曾義仲の墓の隣に葬られた。
*1 生年月日不詳。三重県伊賀市上野赤坂町で生まれたとも、三重県伊賀市柘植で生まれたとも言われている。父・松尾与左衛門、母・梅。平氏の血を引く農家の次男。幼名は金作。
*2 春や来し年や行けん小晦日(初出 19歳立春)
*3 最初に住んだ場所は、日本橋の小沢卜尺の貸家とも、杉山杉風の日本橋小田原町の宅とも言われる。
*4 門人の之道と珍碩の二人の不仲仲裁を目的に江戸を経ち、その心労が健康に障ったと言われている。その忌日は、芭蕉忌・時雨忌・翁忌・桃青忌と言われ、冬の季語となっている。

現代俳句につながるかるみの境地に到達した芭蕉の俳諧は蕉風と呼ばれ、多くの門人をかかえた。中でも宝井其角服部嵐雪森川許六向井去来各務支考内藤丈草杉山杉風立花北枝志太野坡越智越人は蕉門十哲と呼ばれる(異説あり)。

松尾芭蕉関連の主な書籍

▶ 野ざらし紀行
1684年(貞享元年)8月から翌年4月まで、門人の千里を伴い、死去した母の墓参を目的に故郷伊賀上野への旅を記した松尾芭蕉最初の俳諧紀行文。「甲子吟行」ともいう。この旅で芭蕉は、京都など上方へも足をのばしている。書名は、旅立ちに際して詠んだ一句「野ざらしを心に風のしむ身かな」に由来する。1685年(貞享2年)成立。芭蕉死後、1768年(明和5年)に刊行。

▶ 鹿島紀行
1687年(貞享4年)8月14日からは、河合曾良と宗波を伴い、旧知の鹿島根本寺・仏頂禅師を訪ねている。月見を目的とする旅だったが、当日は無月。1687年(貞享4年)8月25日に成り、1790年(寛政2年)に刊行されている。

▶ おくのほそ道
1689年(元禄2年)3月27日(新暦1689年5月16日)から9月6日(新暦10月18日)まで、河合曾良を伴い東北・北陸を巡った折の松尾芭蕉の俳諧紀行文。芭蕉死後、1702年(元禄15年)に西村本を基に京都の井筒屋から出版刊行され広まった。中尾本・曾良本・西村本・柿衞本の4つの原本がある。

松尾芭蕉関連施設

▶ 江東区芭蕉記念館
1917年(大正6年)9月の台風による高潮で、松尾芭蕉が深川芭蕉庵に置いてあったと見られる芭蕉遺愛の石の蛙が出土し、東京市は「芭蕉翁古池の跡」を指定。1981年(昭和56年)4月19日、江東区はその近くに芭蕉記念館をオープンさせた。以降、真鍋儀十翁が寄贈した芭蕉及び俳文学関係の資料などを展示している。

▶ 関口芭蕉庵
神田上水の改修工事を請け負った芭蕉が、1677年(延宝5年)から1680年(延宝8年)までの4年間住んだとされる現在の東京都文京区に、芭蕉33回忌に「芭蕉堂」を建てたのが元になっている。当時の建物は戦災などで焼けてしまったが、芭蕉の真筆の短冊を埋めて作られた「さみだれ塚」などが残る。