花の雲鐘は上野か浅草か

はなのくも かねはうえのか あさくさか

花の雲鐘は上野か浅草か続虚栗(其角編1687年)所収の松尾芭蕉44歳時の句。前書きに「草庵」とある。「芭蕉翁略伝」(湖中編1845年)には、「病ることありて庵に籠り給ひ、」の前書きがあり、芭蕉庵で詠まれた句。上野は上野寛永寺時鐘堂、浅草は浅草寺弁天山鐘楼。ともに芭蕉庵から北方に一里ほどのところにある。

江戸に9箇所設置されていた「時の鐘」。芭蕉の時代、明六つ・正午・暮六つに撞かれ、句に詠まれたのは暮六つ。日没の時間帯である。ただ、芭蕉庵から近い「時の鐘」は他にあることから、当時の桜の名所である上野の山と墨田堤を、「上野」「浅草」に対応させたものだと言えよう。
鐘と花の取り合わせは、新古今和歌集の能因法師に、

山里の春の夕暮れきてみれば 入相の鐘に花ぞ散りける

がある。芭蕉のこの句もまた夕暮れ時の花と鐘の情景であり、病で動けぬ中に、花が散っていくのを惜しみ、焦る気持ちが込められたろう。

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浅草寺の句碑(東京都台東区)

花の雲鐘は上野か浅草か浅草寺境内の新奥山に並ぶ石碑のひとつ、「三匠句碑」。西山宗因の「ながむとて花にもいたし頸の骨」、松尾芭蕉の「花の雲鐘は上野か浅草か」、宝井其角の「ゆく水や何にとどまるのりの味」が刻まれている。
文化6年(1809年)3月、優婆塞菜窓菜英によって建立。揮毫は雲歩恭阿。台石には、舊人丸堂にあったのを明治27年(1894年)仲春に移したとある。以下は、横の説明書きを写したもの。

三匠句碑 台東区浅草二丁目三番 浅草寺
 ながむとて花にもいたし頸の骨 宗因
 花の雲鐘は上野か浅草か 芭蕉
 ゆく水や何にとどまるのりの味 其角
江戸時代前期を代表する俳人三匠の句が刻まれている。
西山宗因 慶長十年(一六〇五)肥後(熊本県)の生まれ。後、大坂に住み談林の俳風を開く。この句は「新古今集」にある西行法師の和歌「ながむとて花にもいたく…」からとった句。天和二年(一六八二)没。
松尾芭蕉 正保元年(一六四四)伊賀(三重県)の生まれ。数次の漂泊の旅に出て作品集や紀行文を残し、「おくのほそ道」は世に知られている。蕉風俳諧を樹立。元禄七年(一六九四)大坂で没。
榎本其角 寛文元年(一六六一)江戸に生まれる。蕉門十哲の一人。のち蕉風を脱し、その一派の傾向は、洒脱風などともいわれた。宝永四年(一七〇七)の没。
碑は文化六年(一八〇九)の建立。台石には明治二十七年(一八九四)春の移築の由来が記されている。
平成八年三月 台東区教育委員会

【撮影日:2019年10月14日】

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上野駅前商店街の句碑(東京都台東区)

花の雲鐘は上野か浅草かJRの高架下に連なる通称アメ横には、4つの石碑が連なる。上野駅側から、石川啄木の「ふるさとの訛なつかし停車場の 人ごみの中にそを聴きにゆく」、この芭蕉句碑、「かねの鳴るまち」の碑、「東北・上越新幹線上野駅開業記念」碑。
芭蕉句碑は、昭和60年(1985年)3月14日の新幹線上野開通記念に合わせて、上野駅前商店街連合会が建立したもの。猪大の自然石に、加藤楸邨の筆による銅版が嵌め込まれている。ここから上野駅方面を臨むと商店街のゲートが見えるが、そこには、左方に「上野駅前商店街」、右方に「かねの鳴るまち」の文字が見える。東京を代表するこの商店街のキャッチフレーズも、芭蕉の「花の雲鐘は上野か浅草か」から来たものである。
以下は、碑陰に記された加藤楸邨の文句。

鐘の鳴る街の記
花の雲を洩れてくる鐘の音から芭蕉は風雅の世界を呼び覚ました
 鐘は上野か浅草か
今 この花の雲を洩れてくる鐘の音から街並をゆく人々は 何を呼び覚ますのだろうか
それは 明日のしづかに近づいてくる足音
 昭和六十年立春の日 加藤楸邨しるす

【撮影日:2020年3月20日】

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