俳句

ゆく水や何にとどまるのりの味

ゆくみずや なににとどまる のりのあじ

ゆく水や何にとどまるのりの味「焦尾琴」の「早船の記」(1700年編)にある宝井其角の句。「早船の記」冒頭に

一日琴風亭にあそんで 二挺こく船の時となく行かへるを見るに まことに観念のたよりなきにしもあらす 古人の意気をかすめては 徒らに楊墨がともからに落ち 安楽の果に乗しては 閑かに長明が方丈をうらやむ

とあり、鴨長明の方丈記の影響を受けていることが分かる。
方丈記に「行く川のながれは絶へずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし」とあるが、其角の句は、それに疑問を投げかける。
「早船の記」における其角は吉原に船を出し、「ゆく水や何にとゝまる海苔の味」。それに続く午寂は「朝皃の下紐ひちて蜆とり」と詠み、下ネタの響きが満ちていく。さらに、「かの方丈のしつらひも一時の閑をとる中立とかや 琴琵巴をのれたしなまねとも さらに此川辺に出て逍遥の客に任すへし」として、

四大種の苦しみのみ恐れて 分別の栖をしむるとも それ幾とせならす 己無心にして此舟にのるへし 煩悩に漂泊してのり得人はあらしと 一瞬の櫓をおさへて生路を勘破す

と結ぶ。これぞ其角の真骨頂。


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浅草寺の句碑(東京都台東区)

ゆく水や何にとどまるのりの味浅草寺境内の新奥山に並ぶ石碑のひとつ、「三匠句碑」。西山宗因の「ながむとて花にもいたし頸の骨」、松尾芭蕉の「花の雲鐘は上野か浅草か」、そして其角の「ゆく水や何にとどまるのりの味」が刻まれている。
文化6年(1809年)3月、優婆塞菜窓菜英によって建立。揮毫は雲歩恭阿。台石には、舊人丸堂にあったのを明治27年(1894年)仲春に移したとある。以下は、横の説明書きを写したもの。

三匠句碑 台東区浅草二丁目三番 浅草寺
 ながむとて花にもいたし頸の骨 宗因
 花の雲鐘は上野か浅草か 芭蕉
 ゆく水や何にとどまるのりの味 其角
江戸時代前期を代表する俳人三匠の句が刻まれている。
西山宗因 慶長十年(一六〇五)肥後(熊本県)の生まれ。後、大坂に住み談林の俳風を開く。この句は「新古今集」にある西行法師の和歌「ながむとて花にもいたく…」からとった句。天和二年(一六八二)没。
松尾芭蕉 正保元年(一六四四)伊賀(三重県)の生まれ。数次の漂泊の旅に出て作品集や紀行文を残し、「おくのほそ道」は世に知られている。蕉風俳諧を樹立。元禄七年(一六九四)大坂で没。
榎本其角 寛文元年(一六六一)江戸に生まれる。蕉門十哲の一人。のち蕉風を脱し、その一派の傾向は、洒脱風などともいわれた。宝永四年(一七〇七)の没。
碑は文化六年(一八〇九)の建立。台石には明治二十七年(一八九四)春の移築の由来が記されている。
平成八年三月 台東区教育委員会

【撮影日:2019年10月14日】

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