五月雨の降り残してや光堂

さみだれの ふりのこしてや ひかりどう

五月雨の降り残してや光堂元禄2年(1689年)松尾芭蕉「おくのほそ道」の旅。5月12日に一関に宿泊した芭蕉は、5月13日(新暦6月29日)に平泉観光をして連泊となる。前日の激しい雨も上がり、高館から中尊寺へと足をのばし、別当の案内で金色堂を見た。

曾良本によると、初案は「五月雨や年々降て五百たび」と、奥州藤原氏が滅んで丁度500年となることを意識した句であった。「五月雨の降り残してや光堂」に到りて、全てを腐敗に導く五月雨と、時の流れを感じさせない光堂(金色堂)の輝きの対比が美しい。
以下、「おくのほそ道 平泉」より。

兼て耳驚したる二堂開帳す。経堂は三将の像をのこし、光堂は三代の棺を納め、三尊の仏を安置す。七宝散うせて、珠の扉風にやぶれ、金の柱霜雪に朽て、既頽廃空虚の叢と成べきを、四面新に囲て、甍を覆て風雨を凌。暫時千歳の記念とはなれり。
 五月雨の降のこしてや光堂

▶ 松尾芭蕉の句


中尊寺金色堂の句碑(岩手県西磐井郡平泉町)

五月雨の降り残してや光堂芭蕉が詠んだ中尊寺金色堂は、奥州藤原氏初代藤原清衡が天治元年(1124年)に建立したもの。当初は屋外に建っていたが、正応元年(1288年)に、金色堂を風雨から守るように覆堂が建設された。現在の覆堂は、昭和40年(1965年)に建設された鉄筋コンクリート製のものであるが、芭蕉が案内されたであろう南北朝時代の覆堂も、近くに残されている。その旧覆堂前には、芭蕉像と、おくのほそ道の「平泉」を刻んだ「おくのほそ道碑」がある。

画像の句碑は、金色堂の脇にあり、並んで立つ立札に、「五月雨の降り残してや光堂」の句と、「延享三年(一七四六)十月十二日 仙台白英門人山目山笑庵連中建碑」とあった。揮毫は、平泉の俳人で中尊寺の僧・素鳥と伝わる。
【撮影日:2018年9月29日】

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