俳句

閑さや岩にしみ入る蝉の声

しずかさや いわにしみいる せみのこえ

芭蕉が聞いたのは何蝉の鳴き声か?

閑さや岩にしみ入る蝉の声元禄2年(1689年)松尾芭蕉「おくのほそ道」の旅「立石寺」での句。季語は「蝉の声」で、季節は夏。意味は「蝉の声だけしか聞こえない静寂は、鳴き声も岩にしみ込んでいく…」というような感じか。
「山寺や石にしみつく蝉の声」だったものが、「さびしさの岩にしみこむ蝉の声」となり、さらに「さびしさや岩にしみこむ蝉の声」となり、最終的に「閑さや岩にしみ入る蝉の声」になったと言われている。

曾良旅日記によると、訪れた5月27日(1689年7月13日)は天気も良くて、午後3時ころに宿坊に着いて巡礼をして一泊している。立石寺は、山形県山形市にある天台宗の寺で、860年に慈覚大師により開山。
かつて、ここに詠まれた蝉の種類が話題になったことがあり、斎藤茂吉はアブラゼミであると主張した。この句が詠まれた時期から、現在ではニイニイゼミであるという説が定着している。ただ、立石寺に到着した15時以降から登山して詠まれたと考えられることや、推敲時に「さびしさ」が現れることから、芭蕉が聞いたのは「蜩」の声だった可能性がある。しかし、蜩は秋の季語となる事から、夏の季語となる「蝉」を選択したとも考えられる。

以下、「おくのほそ道 立石寺」より。

山形領に立石寺と云山寺あり。慈覚大師の開基にして、殊清閑の地也。一見すべきよし、人々のすゝむるに依て、尾花沢よりとつて返し、其間七里ばかり也。日いまだ暮ず。麓の坊に宿かり置て、山上の堂にのぼる。岩に巌を重て山とし、松栢年旧、土石老て苔滑に、岩上の院々扉を閉て、物の音きこえず。岸をめぐり、岩を這て、仏閣を拝し、佳景寂寞として心すみ行のみおぼゆ。
 閑さや岩にしみ入蝉の声

▶ 松尾芭蕉の句

句評「閑さや岩にしみ入る蝉の声」

宮本百合子「新女苑」1940年

閑さや岩にしみ入蝉の声
の句が、芭蕉の芸術として今日まで消えぬ精神の響をうちいだしていると思う。
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