俳句

松尾芭蕉の年譜

俳聖芭蕉の足跡(年譜・略歴)

【松尾芭蕉の略歴】寛永21年~元禄7年10月12日(1644年~1694年11月28日)享年51。伊賀国(三重県)に生まれた俳諧師。北村季吟に師事。蕉風と呼ばれる俳風を確立し、「俳聖」と呼ばれる。紀行文「おくのほそ道」は、不朽の名作として世界に知られている。

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 松尾芭蕉の年譜(陰暦10月12日 芭蕉忌・時雨忌
1644年 寛永21年 伊賀国上野赤坂(*1)に生まれる。本名は松尾宗房。
1656年 明暦2年 2月18日に父の与左衛門が亡くなる。伊賀上野の愛染院に葬る。
1662年 寛文2年 藤堂新七郎良清(藤堂藩伊賀付侍大将)の嗣子・良忠(俳号・蝉吟)に仕官し、忠右衛門宗房を名乗る。良忠とともに北村季吟に師事。俳諧をはじめた(*2)。
1666年 寛文6年 4月25日に良忠が25歳で亡くなる。菩提を弔い、仕官を退く。
1672年 寛文12年 1月25日「貝おほひ」を上野天神宮(三重県伊賀市)に奉納。春、江戸へ下る(*3)。
1674年 延宝2年 3月17日、季吟より俳諧秘伝書「埋木」を伝授される。
1675年 延宝3年 西山宗因の九吟百韻に参加した折、「宗房」改め「桃青」の俳号を初めて用いる。
1676年 延宝4年 帰郷したのち、甥の桃印を連れて江戸に戻る。
1677年 延宝5年 現・文京区関口芭蕉庵に住み、宗匠となった。礫川水道修成傭夫として、神田上水関係の仕事を、この年より4年間務める。
1678年 延宝6年 立机披露の万句興行を催す。
1680年 延宝8年 薙髪して風羅坊と号す。4月「桃青門弟独吟二十歌仙」刊行。江戸俳壇に勢力を確立。冬に深川の芭蕉庵に居を移す(*4)。深川臨川庵に滞在していた仏頂禅師と交流を持ち、禅を学ぶ。
1681年 延宝9年 春に門人の李下から芭蕉の株を贈られ、秋に「芭蕉野分して盥に雨を聞夜哉」を詠む。7月25日付木因宛書簡に「はせを」と署名。
1682年 天和2年 3月刊行の「武蔵曲」(千春編)に「芭蕉」の号が初めて現れる。12月28日、八百屋お七の火事で芭蕉庵も焼ける。
1683年 天和3年 「虚栗」(其角編)。6月20日、郷里の母が亡くなる。冬に、門人らの寄付金で第二次芭蕉庵成る(*5)。
1684年 貞享元年 8月「野ざらし紀行(甲子吟行)」の旅に出て、伊賀で年を越す(*6)。「冬の日」(荷兮編)刊行。
1685年 貞享2年 4月末に芭蕉庵へ帰る。
1686年 貞享3年 春に「古池や蛙とびこむ水の音」を巻頭にして衆議判「蛙合」(仙化編)刊行。「波留濃日」(荷兮編)刊行。
1687年 貞享4年 8月、曾良・宗波とともに「鹿島紀行(鹿島詣)」の旅に出た。10月11日に其角亭で「旅人と我名よばれん初しぐれ」と詠み、10月25日に「笈の小文」の旅に出た。伊賀で年を越す。
1688年 貞享5年 2月18日、故郷で亡父三十三回忌法要。3月19日、杜国を伴い吉野の花見を行う。8月11日、越人と「更科紀行」の旅に出て、8月下旬に江戸に帰る。9月13日、芭蕉庵で後の月見の会を催す。
1689年 元禄2年 2月末、芭蕉庵を人に譲り杉風の別邸に移り、3月27日に曾良を伴い「おくのほそ道」の旅に出た。膳所で年を越す。「曠野」(荷兮編)刊行。冬に不易流行を説く。
1691年 元禄4年 「猿蓑」(去来・凡兆編)刊行。10月29日に江戸に帰る。
1692年 元禄5年 5月中旬、第三次芭蕉庵に入る。「芭蕉を移す詞」。
1693年 元禄6年 「深川」(洒堂編)刊行。3月下旬に甥の桃印が、病気のため芭蕉庵で亡くなる(33歳)。7月中旬から1か月門戸を閉ざし、「閉関の説」を書く。
1694年 元禄7年 5月11日に江戸を発ち、京・伊賀上野・奈良を経て大坂に入り、9月10日に之道宅で発病。10月5日に大坂御堂筋の花屋仁左衛門の貸座敷に移り、10月8日に「旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる」と詠む。10月12日午後4時頃に亡くなる(*7)。遺骸は近江の義仲寺に運ばれ、14日、木曾義仲の墓の隣に葬られた。この年6月2日、芭蕉庵で、芭蕉が愛した唯一の女性と言われる寿貞が亡くなる。「炭俵」(野坡・利牛・孤屋編)。「枯尾花(芭蕉翁終焉記所収)」(其角編)。
1695年 元禄8年 「笈日記」(支考編)。「芭蕉翁行状記」(路通編)。
1698年 元禄11年 「続猿蓑」(沾圃編)。
1702年 元禄15年 「おくのほそ道」(井筒屋本)。
1730年 享保15年 「芭蕉庵三日月日記」。
(松尾芭蕉の年譜補足)

*1 松尾芭蕉の年譜生年月日不詳。三重県伊賀市上野赤坂町で生まれたとも、三重県伊賀市柘植で生まれたとも言われている。父・松尾与左衛門、母・梅。平氏の血を引く農家の次男。幼名は金作、長じて忠右衛門、甚七郎(甚四郎)。兄は半左衛門、姉一人妹三人。別号に宗房・桃青・坐興庵・栩々斎・花桃夭・華桃園・泊船堂・芭蕉庵・芭蕉洞・風羅坊・杖銭子(じょうせんし)・是仏坊(ぜぶつぼう)等。画は森川許六に学ぶ。
*2 春や来し年や行けん小晦日(初出 19歳立春)
*3 最初に住んだ場所は、日本橋の小沢卜尺の貸家とも、杉山杉風の日本橋小田原町の宅とも言われる。
*4 杉風の尽による。現在では深川芭蕉庵と言うが、当初は泊船堂と称した。
*5 「霰聞くやこの身はもとの古柏」と詠む。
*6 「野ざらしを心に風のしむ身かな」と詠む。
*7 門人の之道と珍碩の二人の不仲仲裁を目的に江戸を経ち、その心労が健康に障ったと言われている。その忌日は太陽暦では11月28日。芭蕉忌・時雨忌・翁忌・桃青忌と言われ、冬の季語となっている。

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