杉山杉風

すぎやまさんぷう

東三十三国の俳諧奉行と賞される蕉門十哲の門弟

正保4年(1647年)~享保17年6月13日(1732年8月3日)。江戸日本橋小田原町(東京都中央区)に生まれる。松尾芭蕉に師事。芭蕉の最も古い門人である。
芭蕉も杉山杉風の篤実な人柄を愛し、「去来は西三十三国、杉風は東三十三国の俳諧奉行」と言ったと伝えられ、その「軽み」を最も受け継いでいると言われる。

耳に病を抱えていたが、幕府御用の魚問屋を営み、深川の芭蕉庵を提供したりなど、芭蕉を経済的に支えたことでも知られる。「別座鋪」(子珊編1694年)の編集に携わったころから、服部嵐雪らと不仲を生じ、芭蕉亡きあと三分裂した蕉門の一派を主導した。
辞世は「瘠顔に団扇をかざし絶し息」。死の前年、各務支考への書簡に、

愚事もはや世上にやかましく、口にいづるもわれと吟じて、われを慰むばかりに候。諸事御免給はるべく候。一両年の中には、追善の句を請け申すにて有るべく候。もつてのほか病苦おもり候。
 蚊のすねも達者に見ゆる夏の中

▶ 杉山杉風の俳句

 杉山杉風年譜(旧暦6月13日 杉風忌)
1647年 正保4年 3月、江戸日本橋小田原町に生まれる。(*1)
1672年 寛文12年 江戸に出た芭蕉に住居を提供。
1680年 延宝8年 芭蕉に第一次芭蕉庵(深川の芭蕉庵)提供。(*2)
1732年 享保17年 旧暦6月13日死去。享年86。遺骨は築地本願寺内成勝寺の墓所に納められた(*3)。
*1 通称は鯉屋藤左衛門・市兵衛。別号は採荼庵・荼舎・蓑翁・五雲亭等。隠居して一元と名乗る。「鯉屋」の屋号で幕府御用の魚問屋を営み、深川の芭蕉庵の提供など、芭蕉を経済的に支援した。茶道・禅・絵をも嗜んだ。父の俳号は仙風。
*2 杉風所有の生簀の番小屋だったところ。また、芭蕉は杉風の別宅「採荼庵」から「おくのほそ道」の旅に出た。杉風は、第三次芭蕉庵建築のための費用も枳風とともに出資している。
*3 関東大震災の影響で、現在、杉風の墓は世田谷区宮坂の伏見山成勝寺にある。

杉山杉風関連施設

▶ 採荼庵跡
元禄2年(1689年)3月27日、松尾芭蕉が「おくのほそ道」に旅立った杉山杉風の別荘は「採荼庵」と呼ばれる。東京深川の仙台堀川にかかる海辺橋付近にあったと言われ、採荼庵跡として芭蕉像が設置されている。