俳句

岩田涼菟

いわたりょうと

天明俳諧の先駆となる伊勢風の創始者

1659年(万治2年)~ 享保2年4月28日(1717年6月7日)。伊勢国(三重県)出身。本姓は秦。名は正致。通称は権七郎。別号に団友斎。編著に「山中集」。伊勢神宮の下級神官。伊勢俳壇の神風館第三代。蕉門に入り、伊勢風の基礎を築いた。弟子に、中川乙由ら。各務支考と親しくした。

草履で近くに花見に行くと言ったまま、京都東山・須磨・長崎にまで足をのばしたという逸話がある。辞世は「合点じやそのあかつきの子規」。死の間際まで推敲し、定まらなかったものを、乙由が「この期におよんで何の迷いがあるか、その暁の時鳥」と言って促し、決した。それを書き記しているうちに亡くなった。

▶ 岩田涼菟の俳句

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