ほつと月がある東京に来てゐる

ほつとつきが あるとうきょうに きている

ほっと月がある東京に来てゐる種田山頭火 「旅日記」昭和11年(1936年)4月4日の項に載る。
この日、天気は晴。場所は鎌倉。八幡宮・建長寺・円覚寺・長谷の大仏と廻り、支那料理を頂きながら南浦園で句会。よい日だったと述べた後、層雲社から電報があり、「明日の句会へ出席せよといふので」とある。
この句には「東京をうたふ」の前書きがあるが、場所はまだ鎌倉。13年ぶりの東京行ということもあるのだろうが、関東一円を「東京」と表現したものか。
「ほつと月がある東京に来てゐる」に続いて、「花ぐもりの富士が見えたりかくれたり」「ビルからビルへ東京は私はうごく」「ビルがビルに星も見えない空」が詠まれる。

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日暮里本行寺の句碑(東京都荒川区)

ほっと月がある東京に来てゐる碑陰に「昭和六十一年 友人一同建立」とある。この「友人」こそが、「層雲」に参加し、昭和8年(1933年)3月に出会ってから山頭火を支援し続けた大山澄太。「俳人山頭火の生涯」などを著し、山頭火を世に送り出したひとでもある。その澄太は、山頭火の句碑を建立したのと同じ日に、一茶の句碑をも、この句碑の向かいに立てている。揮毫はその澄太。
山頭火の句碑は全国に数多あるが、今現在東京に存在するのは、この本行寺の句碑1基だけだという。しかし、「旅日記」に本行寺の記載はない。ここに句碑を建立したのは、月見寺と呼ばれる場所ゆえなのか、層雲との関わりなのかは不明。東京滞在時に、山頭火は浅草から上野あたりに滞在しているので、立ち寄ったことがあったのかもしれない。
【撮影日:2019年9月16日】

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