しばふきお
夭折の天才俳人・芝不器男
1903年(明治36年)4月18日~1930年(昭和5年)2月24日。愛媛県北宇和郡明治村(愛媛県北宇和郡松野町)の教員の家に生まれる。本名でもある「不器男」の名は、論語の「子曰、君子不器」から。別号に芙樹雄・不狂。「天の川」「ホトトギス」で活躍。
1928年(昭和3年)、伊予鉄道電気副社長・太宰孫九の長女と結婚し、太宰家の養嗣子となるも、肉腫のために26歳で没する。死の2カ月前には、「天の川」主宰・吉岡禅寺洞や主治医の横山白虹らによって慰安の句会が開催され、「一片のパセリ掃かるる暖炉かな」「大舷の窓被ふある暖炉かな」「ストーブや黒奴給仕の銭ボタン」の3句を遺している。
▶ 芝不器男の俳句
1903年 | 明治36年 | 4月18日、愛媛県北宇和郡明治村(松野町)に生まれる。(*1) |
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1923年 | 大正12年 | 「枯野」句会に出席し句作を開始。 |
1925年 | 大正14年 | 東京帝大を中退し、東北帝国大学工学部機械工学科に入学。「天の川」に投句しはじめる。本名の不器男を俳号とする。 |
1926年 | 大正15年 | 「ホトトギス」に投句しはじめる。 |
1929年 | 昭和4年 | 睾丸炎を発病し、九州帝国大学附属病院後藤外科に入院。 |
1930年 | 昭和5年 | 2月24日永眠。26歳。 |
*1 | 父・来三郎、母・キチの四男。父は教員や村長を歴任し俳句も作った。「不器男」の号は論語の「子曰、君子不器」による。 |
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