曲亭馬琴

きょくていばきん

「南総里見八犬伝」の著者

明和4年6月9日(1767年7月4日)~嘉永元年11月6日(1848年12月1日)。江戸深川(東京都江東区)の旗本・松平信成の屋敷において、同家用人・滝沢運兵衛興義の五男として生まれ、滝沢馬琴とも。幼名は春蔵、通称は左七郎(さしちろう)。別号に著作堂主人・笠翁(りつおう)・篁民(こうみん)・蓑笠漁隠(さりつぎょいん)・飯台陳人(はんだいちんじん)・玄同(げんどう)など。「南総里見八犬伝」などを著し、日本で初めて原稿料のみで生計をたてたとされる人物。73歳で失明してからも、息子の妻による口述筆記で、創作し続けた。

俳諧においては、長兄・羅文とともに越谷吾山に師事し、馬琴の号を用いている。「俳諧古文庫」(1787年)や、俳諧季寄せの決定版とされる「俳諧歳時記」(1803年)を編集した。
病に倒れた晩年、「若者が余命を貪る者に候はばさもあらめ、我極老に至り医師三昧いらぬ事に候」と治療を拒み、「世の中の役をのがれてもとのまま かへすは天と土の人形」の辞世を遺す。

▶ 曲亭馬琴の句

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