俳句

越谷吾山

こしがやござん

方言学でも知られる俳諧師

享保2年(1717年)~天明7年12月17日(1788年1月24日)。武蔵国越谷(埼玉県越谷市)出身。本名は会田秀真、通称は文之助。別号に古馗庵、師竹庵、涼華房。佐久間柳居・白井鳥酔に師事。日本初の方言研究書「物類称呼」を著した方言学者でもある。著書に「俳諧朱紫」など。安永6年(1777年)に法橋となった。

明和5年(1768年)に江戸に出て、2年後に独立、安永3年(1774年)日本橋に師竹庵を構えた。門人には、滝沢馬琴もおり、馬琴は「実に蕉翁の再生やといわん、後世蕉翁なきことを憂うることなかれ」と評している。
辞世は「花と見し雪はきのうぞもとの水」。

▶ 越谷吾山の句

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