白井鳥酔

しらいちょうすい

天明俳諧中興の先駆

元禄14年(1701年)~明和6年4月4日(1769年4月28日)。上総国埴生郡(千葉県長生郡長南町)の旗本知行所の郷代官の家に生まれる。本名は喜右衛門信興。幼名は喜六。別号に西奴・松露庵(二世)・露柱など。

20歳で家督を継ぐ。近郷に並びなき豪家であったが、金山に巨万の財を費やし、25歳で役務怠慢で罷免されるとともに剃髪。江戸に出て、佐久間柳居に師事し、松尾芭蕉の旧跡を遊歴。晩年は相模大磯の鴫立庵で過ごし、江戸で没する。
辞世は「濃きうすき雲を待ち得てほとゝぎす」。鮫洲(東京都)の海晏寺にある墓石には、鳥酔の「松風も骨になったる寒さかな」の句が刻まれている。その横には、天明の中興五傑のひとりで鳥酔の門人・加舎白雄の墓がある。白雄は、「鳥酔居士之墓」として、「あぢさゐのかはりはてたる思ひかな」の句を遺している。

▶ 白井鳥酔の句

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