藤野古白 ふじのこはく 正岡子規の従弟 1871年9月22日(明治4年8月8日)~1895年(明治28年)4月12日。愛媛県上浮穴郡久万町出身。本名は藤野潔。母親は正岡子規の母の妹。 9歳で東京に移る。1883年に上京した子規は、古白の父の家に下宿したという縁もある。 劇作家・小説家を目指したが評価されず、失意の中、ピストル自殺した。辞世は「花の頃西行もせぬ朝寝かな」。自殺を知った子規は、「春や昔古白といへる男あり」と詠む。 古白の三回忌に、子規が「古白遺稿」を編集。 ▶ 藤野古白の句