くりたちょどう
一茶との交流で知られる栗田樗堂
寛永2年8月21日(1749年10月2日)~文化11年8月21日(1814年10月4日)。伊予松山藩(愛媛県松山市)の酒造の家に生まれる。別号に、えん室・蘭之・息陰。加藤暁台に師事。小林一茶との交流でも知られる俳人。著書に「月夜さうし」等。
養子に入った栗田屋の当主であり、町方の要職について活躍。引退してから復帰を請われるも、固辞して俳諧を志した。しかしその名声ゆえに、理想とした隠居生活を送ることができず、「庚申庵記」にその苦悩を綴った上、瀬戸内海に浮かぶ御手洗島(大崎下島)に隠棲した。
▶ 栗田樗堂の俳句
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1749年 | 寛永2年 | 8月21日、伊予松山藩の酒造の家に生まれる。本名は政範、通称は貞蔵。(*1) |
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1765年 | 明和2年 | 酒造「廉屋」の栗田家に養子入り、妻を娶り、栗田家七代目当主栗田與三左衛門を襲名。(*2) |
1771年 | 明和8年 | 町方大年寄となる。 |
1786年 | 天明6年 | 「名人異類鑑」に名前が挙がる。 |
1787年 | 天明7年 | 京都で加藤暁台に師事。 |
1789年 | 寛政元年 | 妻が死去。 |
1795年 | 寛政7年 | 小林一茶が二畳庵を訪ねてくる。 |
1800年 | 寛政12年 | 松山に庚申庵を建てる。 |
1802年 | 享和2年 | 病のため大年寄を辞し、剃髪して隠居。 |
1807年 | 文化4年 | 後妻を迎えた縁で、安芸の国の御手洗島に移る。 |
1814年 | 文化11年 | 8月21日死去。65歳。墓は松山の得法寺と広島の御手洗島にある。 |
*1 | 豊後屋後藤昌信の三男として生まれる。樗堂の俳号は、「荘子」の「樗」から。樗という木は、役に立たないから大木になるという。有力な酒造に生まれ、その豪富は近隣諸国にまで知れ渡っていた。 |
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*2 | 養父は天山、妻は羅蝶の俳号で俳諧を嗜み、この頃から本格的に俳諧をはじめた。養父は二畳庵を開設し、樗堂が引き継ぐ。 |
栗田樗堂の関連施設
▶ 庚申庵史跡庭園
愛媛県松山市にある、栗田樗堂が建てた庚申庵を文化遺産として残すため、誰もが利用できるように整備したもの。NPO法人庚申庵クラブが管理運営しており、藤の花の美しさでも知られる。