秋元不死男

俳句もの説を提唱

あきもとふじお

1901年11月3日~1977年7月25日。神奈川県横浜市中区元町の漆器の輸出商の次男として生まれる。本名は不二雄。別号に、東京三(ひがしきょうぞう)、秋元地平線。横浜海上火災保険に入社して同僚となった嶋田的浦から、兄である嶋田青峰を紹介され師事。その影響下で新興俳句運動に参加し、投獄される。句集「万座」で第2回蛇笏賞。

1954年に「俳句」誌に発表した「俳句ともの説」で、「こと」ではなく「もの」に執着しなければ俳句は崩れると論じ、「俳句もの説」として注目を浴びた。
直腸癌に倒れ、最後となった句は「ねたきりのわがつかみたし銀河の尾」。冨士霊園に墓地を求めた折に、「富士の根にわが眠る鳥わたりけり」と詠んでいる。

▶ 秋元不死男の俳句



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 秋元不死男年譜(7月25日 不死男忌・甘露忌)
1901年 明治34年 11月3日、横浜市中区元町に生まれる。(*1)
1916年 大正5年 横浜市第二日枝小学校高等科を卒業、横浜火災海上保険会社に入社。
1920年 大正9年 同人誌「花路」を創刊。
1927年 昭和2年 同人誌「青い花」を創刊。
1929年 昭和4年 横浜海上火災保険に入社した嶋田的浦に兄・嶋田青峰を紹介され師事。
1934年 昭和9年 新興俳句運動に加わり連絡機関「新俳話会」の幹事となる。
1940年 昭和15年 西東三鬼らと「天香」を創刊。
1941年 昭和16年 2月、新興俳句弾圧事件で投獄(1943年2月まで)。職を失う。
1946年 昭和21年 新俳句人連盟の創立に関わり幹事に就任するが、運営方針を巡る対立で脱退。
1947年 昭和22年 俳号を秋元不死男とする。現代俳句協会設立発起人となる。
1948年 昭和23年 山口誓子の「天狼」創刊に参加。
1949年 昭和24年 「天狼」東京句会を中心にして「氷海」創刊。
1956年 昭和31年 横浜俳話会を発足させる。
1961年 昭和36年 現代俳句協会を脱退、俳人協会設立に参加。
1968年 昭和43年 句集「万座」が第2回蛇笏賞。
1971年 昭和46年 直腸癌の摘出手術を受ける。
1977年 昭和52年 7月25日、入院先で逝去。享年75。
*1 漆器の輸出商の次男。本名は不二雄。前号は東京三(ひがしきょうぞう)。別号に秋元地平線。