俳句

沖田総司

おきたそうじ

新選組一番隊組長

天保13年(1842年)? ~慶応4年5月30日(1868年7月19日)。白河藩士の子として、江戸の白河藩屋敷(東京都港区西麻布)で生まれた。本姓は藤原、諱は春政・房良。幼名は宗次郎。
少年期に天然理心流の試衛館に入門し、近藤勇・土方歳三と同門となる。文久3年(1863年)の浪士組結成に参加して上洛するも分裂に伴い、近藤らに従い残留して新選組を結成。一番隊組長となる。慶応3年(1867年)には肺結核が悪化し、慶応4年5月30日に病死。
俳諧における逸話としては、豊玉の俳号を持つ土方歳三に対して「下手である」とからかったというものがある。辞世は「動かねば闇にへだつや花と水」。病身で、風雲に散れぬ無念が伝わる。

▶ 沖田総司の句

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