いいだりゅうた
戦後の伝統俳句の中心的存在
1920年(大正9年)7月10日~2007年(平成19年)2月25日。山梨県東八代郡五成村(山梨県笛吹市)に、飯田蛇笏の四男として生まれる。
蛇笏より引き継いだ「雲母」を1992年に終刊にして、俳句から遠ざかった。
▶ 飯田龍太の俳句
1920年 | 大正9年 | 7月10日 、山梨県東八代郡五成村小黒坂(笛吹市境川町小黒坂)に生まれる。(*1) |
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1947年 | 昭和22年 | 國學院大學卒業。卒業論文は「芭蕉の悲劇性の展開」。「雲母」の編集に携わる。 |
1962年 | 昭和37年 | 父・蛇笏の死去に伴い、飯田家の家督を継ぎ、「雲母」主宰を継承。 |
1983年 | 昭和58年 | 紫綬褒章受章。 |
1984年 | 昭和59年 | 日本芸術院会員。 |
1992年 | 平成4年 | 8月、「雲母」を900号をもって終刊させる。 |
2007年 | 平成19年 | 2月25日、肺炎のため甲府市内の病院で死去。享年86。 |
*1 | 父・武治(飯田蛇笏)、母・菊乃の四男。 |
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