やまぐちせいし
ホトトギスの4S
1901年(明治34年)11月3日~1994年(平成6年)3月26日。京都府京都市上京区岡崎町(京都市左京区)に生まれる。「誓子」の号は、本名の新比古(ちかひこ)から。高浜虚子に師事。水原秋桜子・阿波野青畝・高野素十ともに「ホトトギスの4S」と呼ばれる。「ホトトギス」を辞した秋桜子の「馬酔木」に移り、秋桜子とともに新興俳句運動の中心的役割を担う。「天狼」創刊・主宰。
死の前年の7月体調を崩し、「天狼」を休刊することを決める中、「八月の神戸港の花火を見て」という前書で「一輪の花となりたる揚花火」。これを辞世とする見方がある。
▶ 山口誓子の俳句
1901年 | 明治34年 | 11月3日、京都市上京区岡崎町(現在は左京区)に生まれる。(*1) |
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1911年 | 明治44年 | 母岑子自殺。 |
1912年 | 明治45年 | 樺太に移住。 |
1914年 | 大正3年 | 俳句をはじめる。 |
1920年 | 大正9年 | 京大三高俳句会に出席。日野草城との出会い。 |
1922年 | 大正11年 | 3月、京都の虚子歓迎句会で高浜虚子に会う。4月、東京帝国大学法学部に入学。水原秋桜子、富安風生、中田みづほ、山口青邨らと東大俳句会を再興。 |
1926年 | 大正15年 | 東大卒業、大阪住友合資会社に入社。 |
1927年 | 昭和2年 | 「ホトトギス」課題選者に就任。 |
1929年 | 昭和4年 | 「ホトトギス」同人。 |
1933年 | 昭和8年 | 「京大俳句」顧問。 |
1935年 | 昭和10年 | 急性肺炎にかかり療養。「ホトトギス」を辞し水原秋桜子の「馬酔木」に移り、新興俳句運動を展開。 |
1948年 | 昭和23年 | 西東三鬼、秋元不死男らと「天狼」を創刊。 |
1976年 | 昭和51年 | 勲三等瑞宝章。 |
1987年 | 昭和62年 | 日本芸術院賞。 |
1989年 | 平成元年 | 朝日賞。 |
1992年 | 平成4年 | 文化功労者。 |
1994年 | 平成6年 | 3月26日、呼吸不全のため神戸市の病院で死去。92歳。 |
*1 | 父新助、母岑子の長男。本名は新比古(ちかひこ)。「誓子」の号は当初「ちかひこ」と読んだが、虚子が「せいし」と読んだ。 |
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