宗祇

そうぎ

室町時代を生きた連歌界の第一人者
准勅撰連歌集「新撰菟玖波集」を撰集
芭蕉も憬れた旅人

応永28年(1421年)~ 文亀2年7月30日(1502年9月1日)。生国は紀伊とも近江とも。宗砌・専順・心敬に連歌を学び、東常縁から古今伝授を受けた。長享2年(1488年)3月に北野連歌所宗匠となり、連歌界の第一人者となった。
「雪ながら山本かすむ夕べかな」を発句とする「水無瀬三吟百韻」(1488年)などが知られる。明応4年(1495年)6月には、猪苗代兼載らと准勅撰連歌集となる「新撰菟玖波集」を撰集。
生涯を旅に委ねたが、文亀2年に箱根湯本の旅館で没し、駿河桃園(静岡県裾野市)定輪寺に葬られた。連歌の黄金期を築き上げ、芭蕉も敬愛するなど、俳諧の世界に大きな影響をもたらした。辞世に「はかなしや鶴の林の煙りにも立ちおくれぬる身こそ恨むれ」。
宗長の「宗祇終焉記」には、

おのおのこゝろをのどめて、あすは此の山をこゆペき用意せさせて、うちやすみしに、夜中過るほど、いたくくるしげなれば、をしうごかし侍れば、只今の夢に定家卿にあひたてまつりしといひて、玉のをよ絶えなばたえねといふ哥を吟ぜられしを、聞く人、是は式子内親王の御哥にこそと思へるに、又このたびの千句の中にありし前句にや、
 ながむる月にたちぞうかるゝ
といふ句を沈吟して、我は付けがたし、みなみな付け侍れなどたはぶれにいひつゝ、ともし火のきゆるやうにしていきも絶えぬ。

▶ 宗祇の俳句

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