鈴木しづ子

すずきしづこ

幻の俳人と呼ばれた伝説の女流俳人

1919年6月9日~。東京市神田区(千代田区)出身。松村巨湫に師事。娼婦俳人・幻の俳人などと呼ばれ、1952年、岐阜県各務原から失踪し、行方不明となる。第一句集「春雷」、第二句集「指環」は、句集として異例の注目を浴びた。その後、生誕90年を記念して、「春雷」と「指環」を合わせて河出書房新社から刊行された「夏みかん酢つぱしいまさら純潔など」(2009年)は、大きな話題となった。

▶ 鈴木しづ子の俳句


 鈴木しづ子の年譜
1919年 大正8年 6月9日、東京市神田区三河町の会社員の家庭に長女として生まれる。(*1)
1937年 昭和12年 東京淑徳高等女学校を卒業。女子大の入学に失敗し、専修製図学校へ進む。
1940年 昭和15年 製図学校を卒業後、岡本工作機械製作所に製図工として勤め、上司の勧誘で社内サークルの俳句部に入り、松村巨湫と出会う。
1943年 昭和18年 松村巨湫主宰の句誌「樹海」に投句するようになる。このころ職場恋愛するも、招集により、相手の消息は不明となる。
1946年 昭和21年 第一句集「春雷」を自費出版。5000部全てを売り切る。このころ東芝車両に再就職。社交ダンスを習い始める。
1947年 昭和22年 工場の上司と結婚し、仕事をやめる。
1948年 昭和23年 離婚。
1949年 昭和24年 愛知県犬山市に移る。
1950年 昭和25年 岐阜市の柳ヶ瀬でダンサーとなり、その後、那珂町の進駐軍向けのキャバレーに勤務。そこで黒人軍曹と出会い同棲する。
1951年 昭和26年 恋人の黒人軍曹は朝鮮戦争に出兵し、麻薬中毒となって帰還。看病するも、相手はアメリカに帰国し、ほどなく死去。
1952年 昭和27年 松村巨湫によって、鈴木しづ子の第二句集「指環」が刊行される。3月に東京神田で開かれた出版記念会で、「それでは皆さん、ごきげんよう。そして、さようなら」と言って、以降、鈴木しづ子は消息不明となった。(*2)
*1 鈴木しづ子の本名は鎮子。小学校時代には愛知県犬山市に一時在住。
*2 「樹海」への最後の投句は、1952年9月15日付のもの。送られてきた俳句のストックを中心に、松村巨湫は、1963年まで「樹海」に鈴木しづ子の句を掲載し続けた。1952年以降の鈴木しづ子は、いろいろな噂はたつが、確かなものはない。そのような中、2009年に句集「春雷」と「指環」がまとまられ、河出書房新社から「夏みかん酢つぱしいまさら純潔など」として刊行された。ベストセラーとなっている。


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