天野桃隣

あまのとうりん

芭蕉の甥とも伝わる俳人

生年月日不詳~享保4年12月9日(1720年1月18日)。通称は藤太夫。初め桃隣、後に桃翁といった。別号に太白堂・呉竹軒など。松尾芭蕉の甥とも従弟とも言われている。

芭蕉の後ろ盾を得て、江戸で俳諧点者として暮らしていたが、芭蕉亡きあと桃林堂蝶麿として「好色赤烏帽子」などの好色本作家になったとの説もある。
芭蕉三回忌には、奥の細道の足跡をたどり「陸奥鵆」、十七回忌には「粟津原」を著した。

芭蕉とともに江の島詣しようと、藤沢に泊った時の話が伝わる。それによると、二人を出家と見た出産間近の女将が安産の符を求め、それに応じた桃隣が、盃に「とく出でてまた乙みせよ花の兄」と書きつけた。するとすぐに安産の運びとなり、芭蕉は「道を得たる者なり」と評したという。

▶ 天野桃隣の俳句

 天野桃隣年譜
1691年 元禄4年 芭蕉に従い江戸に出て、点者になる。
1720年 享保4年 旧暦12月9日死去。81歳とも70余りとも。
伊賀国上野出身。生年不詳。15年ほど大坂で「利をいとひ遊民となつて」暮らしていたという。