社会性俳句・前衛俳句の旗手
かねことうた
1919年(大正8年)9月23日~2018年(平成30年)2月20日。埼玉県比企郡小川町に生まれ秩父に育つ。開業医である父は、伊昔紅の俳号を持ち、「元日や餅で押し出す去年糞」で知られる。加藤楸邨に師事。「海程」を創刊・主宰。社会性俳句運動、前衛俳句運動の中心人物。「俳句造型論」で知られる。「東国抄」で第36回蛇笏賞。
有名な俳句に「銀行員等朝より蛍光す烏賊のごとく」。
2018年に入ってすぐ、発熱で入院し、1月25日に退院。2月6日に誤嚥性肺炎の疑いで再入院するまで、夜間は安全のため自宅近くの高齢者施設で過ごしたが、その間に書き留めた9句「雪晴れに一切が沈黙す」「雪晴れのあそこかしこの友黙まる」「友窓口にあり春の女性の友ありき」「犬も猫も雪に沈めりわれらもまた」「さすらいに雪ふる二日入浴す」「さすらいに入浴の日あり誰が決めた」「さすらいに入浴ありと親しみぬ」「河より掛け声さすらいの終るその日」「陽の柔わら歩ききれない遠い家」が最後の俳句となり、「海程」4月号に発表された。最後は急性呼吸促迫症候群で死去。
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1919年 | 大正8年 | 9月23日、埼玉県比企郡小川町に生まれる。(*1) |
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1937年 | 昭和12年 | 出澤三太に誘われて同校教授宅の句会に参加。 |
1941年 | 昭和16年 | 東京帝国大学経済学部に入学し、「寒雷」に投句。加藤楸邨に師事。 |
1943年 | 昭和18年 | 日本銀行入行。海軍経理学校に短期現役士官として入校し、大日本帝国海軍主計中尉に任官。トラック島に赴く。 |
1946年 | 昭和21年 | 捕虜となり、11月に最終復員船で帰国。沢木欣一の「風」創刊に参加。 |
1947年 | 昭和22年 | 日本銀行へ復職し、塩谷皆子と結婚。 |
1962年 | 昭和37年 | 隈治人、林田紀音夫、堀葦男らと「海程」を創刊。 |
1983年 | 昭和58年 | 現代俳句協会会長。 |
1985年 | 昭和60年 | 「海程」主宰。 |
1988年 | 昭和63年 | 紫綬褒章。 |
1996年 | 平成8年 | 勲四等旭日章。 |
2002年 | 平成14年 | 句集「東国抄」で第36回蛇笏賞。 |
2008年 | 平成20年 | 第4回正岡子規国際俳句賞大賞。文化功労者。 |
2010年 | 平成22年 | 第58回菊池寛賞。 |
2018年 | 平成30年 | 2月20日、急性呼吸促迫症候群で死去。98歳。 |
*1 | 父・元春と母・はるの長男。父は開業医で、「伊昔紅」の俳号を持つ。 |
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