夢二の俳句は美人画以上にロマンチック
たけひさゆめじ(1884年9月16日~1934年9月1日)
1884年(明治17年)9月16日~1934年(昭和9年)9月1日。岡山県邑久郡本庄村(岡山県瀬戸内市)の酒造の家に生まれる。本名は竹久茂次郎(たけひさもじろう)。「夢二式美人」で知られる、大正ロマンを代表する画家。歌人でもあり、「待てど暮らせど来ぬ人を」の歌詞がある「宵待草」を作詞したことでも知られている。「平民新聞」への投稿から俳句に入り、1200句あまりを遺している。竹久夢二の業績を顕彰して、1997年より伊香保の夢二忌俳句大会実行委員会が、「夢二俳句大賞」を設けている。
社会主義新聞として知られた平民新聞の平民社との関わりが深く、1907年までの平民新聞存続中には、多くの作品が発表された。平民新聞とのつながりのために、大逆事件関与の容疑で拘留されたこともある。また、その生涯は、「夢二をめぐる3人の女性」として紹介される女性をはじめ、多くの女性に彩られたものであった。
2014年に、群馬県の竹久夢二伊香保記念館に保管されている日記に、直筆による最後の俳句があることが判明した。女性スキャンダルにより人気が低迷し、結核を患い孤独な病床に就いた夢二であったが、死の四か月前となる5月17日に、「死に隣る眠薬や蛙なく」の俳句を詠んだ。
▶ 竹久夢二の俳句
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1884年 | 明治17年 | 9月16日、岡山県邑久郡本庄村(岡山県瀬戸内市邑久町本庄)の酒造の家に生まれる。(*1) |
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1900年 | 明治33年 | 実家の酒造が破産し、一家で福岡へ転居。八幡製鉄所で働く。 |
1901年 | 明治34年 | 家出して上京。 |
1902年 | 明治35年 | 早稲田実業学校に入学。 |
1905年 | 明治38年 | 友人の荒畑寒村の紹介で平民社発行の「直言」に絵が掲載される。月刊誌「中学世界」で入選した「筒井筒」で、初めて夢二の号を用いる。早稲田実業学校専攻科を中退。 |
1907年 | 明治40年 | 絵葉書店で見染めた岸たまきと結婚。(*2) |
1909年 | 明治42年 | 岸たまきと協議離婚。最初の著書でベストセラーとなる「夢二画集-春の巻」発刊。 |
1910年 | 明治43年 | 岸たまきとよりを戻し同棲。大逆事件関与の容疑で2日間拘留。 |
1912年 | 大正元年 | 京都で開催された「第1回夢二作品展覧会」が評判を呼ぶ。 |
1913年 | 大正2年 | 「宵待草」所収の小唄集「どんたく」を出版。 |
1914年 | 大正3年 | 日本橋呉服町に「港屋絵草紙店」を開店し、夢二ファンの笠井彦乃と出会う。 |
1915年 | 大正4年 | 画学生との仲を疑った夢二が、岸たまきを刺して離別する。 |
1917年 | 大正6年 | 前年に移った京都で、笠井彦乃と同棲。「宵待草」に多忠亮が曲をつけた。 |
1918年 | 大正7年 | 「宵待草」が大ヒット。東京に戻る。 |
1919年 | 大正8年 | 菊富士ホテルで、モデルのお葉(佐々木カネヨ)を紹介される。 |
1920年 | 大正9年 | 笠井彦乃が結核で亡くなる。 |
1921年 | 大正10年 | お葉と渋谷で暮らし始める。 |
1925年 | 大正14年 | 作家の山田順子と4か月同棲。お葉は自殺未遂を起こし、夢二と別れる。 |
1930年 | 昭和5年 | 女性スキャンダルで人気を失った夢二は、伊香保温泉に滞在し「榛名山美術研究所」の構想を練る。 |
1931年 | 昭和6年 | 渡米。 |
1932年 | 昭和7年 | アメリカ西海岸での個展が不調に終わり、渡欧。 |
1933年 | 昭和8年 | 帰国後、患った結核が悪化。 |
1934年 | 昭和9年 | 9月1日、長野県八ケ岳山麓の富士見高原療養所で死去。享年49。(*3) |
*1 | 本名は茂次郎。次男として生まれるが、長男は、夢二が生まれる前に早世。 |
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*2 | 1908年に長男の虹之助、1911年に次男の不二彦、1916年に三男の草一が誕生。 |
*3 | わずかな文芸仲間に囲まれての死だったという。最後の言葉は「ありがとう」。墓地は東京の雑司ヶ谷霊園にある。 |
竹久夢二の関連施設
▶ 夢二郷土美術館
竹久夢二の出身県である岡山の、代表的観光地・後楽園近くにある美術館「夢二郷土美術館本館」と、夢二が生まれ育った瀬戸内市の「夢二生家記念館」「少年山荘」で構成される。美術作品が中心ではあるが、竹久夢二作品随一のコレクションで構成された作品群は、見応えがある。
▶ 竹久夢二伊香保記念館
「榛名山美術研究所」の構想を練るなど、伊香保をこよなく愛した竹久夢二。その始まりは、1911年にファンから届いた手紙だったという。今では温泉で知られる伊香保の街に、そのファンレターを始め竹久夢二の資料を展示する記念館が建ち、観光地伊香保の重要な観光拠点となっている。
▶ 金沢湯涌夢二館
岸たまきの出身地であり、笠井彦乃と旅行を楽しんだ金沢の地を、「心の故郷」と呼んだ竹久夢二。夢二の足跡を知る資料館が、文学の街・金沢に開設されている。