俳句

鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし

しゅうせんは こぐべしあいは うばうべし

愛の悲しさ

白骨(1952年)所収の三橋鷹女の俳句。激烈とも評された鷹女の代表句とも言えるこの俳句は、50歳を過ぎての俳句である。有島武郎の「惜みなく愛は奪う」(1920年)が下地にあると言われている。

「鞦韆」とは「ぶらんこ」のことであり、「愛」と並べて置かれたことを考えると、「遊び」の象徴であろう。有島武郎が「惜みなく愛は奪う」で、「遊戯の世界、趣味の世界であり、無目的の世界である」とした、「自由なる創造の世界」のこと。
「愛は奪ふべし」は「惜みなく与えよ」に触発されたものであり、有島武郎は「愛は与える本能である代りに奪う本能であり、放射するエネルギーである代りに吸引するエネルギーである」と言っている。そして、下記のようにある。

例えば私が一羽のカナリヤを愛するとしよう。私はその愛の故に、美しい籠と、新鮮な食餌と、やむ時なき愛撫とを与えるだろう。人は、私のこの愛の外面の現象を見て、私の愛の本質は与えることに於てのみ成り立つと速断することはないだろうか。然しその推定は根柢的に的をはずれた悲しむべき誤謬なのだ。私がその小鳥を愛すれば愛する程、小鳥はより多く私に摂取されて、私の生活と不可避的に同化してしまうのだ。唯いつまでも分離して見えるのは、その外面的な形態の関係だけである。小鳥のしば鳴きに、私は小鳥と共に或は喜び或は悲しむ。その時喜びなり悲しみなりは小鳥のものであると共に、私にとっては私自身のものだ。私が小鳥を愛すれば愛するほど、小鳥はより多く私そのものである。私にとっては小鳥はもう私以外の存在ではない。小鳥ではない。小鳥は私だ。私が小鳥を活きるのだ。(惜みなく愛は奪う)

この俳句は、単なる肉体における略奪愛を詠んだものではない。

▶ 三橋鷹女の句



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