はこべらや しょうどのいろの すずめども
「雨覆」(1848年)所収の石田波郷の俳句。この俳句は、江東区に移ってきた昭和21年(1946年)に詠まれた。「焦土諷詠」の中の俳句のひとつで、当時の江東区は、東京大空襲の影響がまだ色濃く残っていた。
この俳句は、焦土にようやく芽吹いたはこべら(はこべ)を詠みこみ、季節は春。はこべらを啄ばむ雀を、戦争で焼け出された者たちに見立てている。新たな時代の希望とも、課せられた再生に抱く閉塞感ともとらえられる俳句である。ただ、この俳句が詠まれた時期に長女が生まれたりもしているので、新たな命を宿して生きていく「希望」ととらえたい。
▶ 石田波郷の句
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妙久寺の句碑(東京都江東区)
北砂町にある妙久寺は、横綱大鵬の墓所としても知られる日蓮宗の寺院である。石田波郷の句碑は、山門を入って右手の植え込みの中にあるが、碑面には「繁縷や焦土のいろの雀ども」と、「はこべら」が漢字になっている。碑陰には「昭和三十四年十月吉日 鶴江東支部」とあり、存命中に俳句結社「鶴」により建立されたものである。
山門を出ると、通り沿いに「石田波郷宅跡」の案内板が見える。石田波郷は、昭和21年3月10日にこの妙久寺に隣接する家屋に引っ越してきて、昭和33年までここで暮らした。そのため、辺りには「石田波郷記念館」や「石田波郷生誕百年記念碑」などが存在する。ここ砂町は、今でも波郷を誇りとし、その事績を語り続けている。
以下は、「石田波郷宅跡」の案内板のものである。
俳人 石田波郷宅跡
俳人石田波郷は、中村草田男や加藤楸邨らと並び人間探求派と呼ばれ、現代の俳句を発展させたひとりです。
波郷は、大正二年に愛媛県で生まれました。昭和二十一年にここ江東区北砂に移り、三十三年まで居を構えていました。その間『現代俳句』を創刊するなど俳壇の復興に力を注ぎ、自らも句集『惜命』を出すなど、数多くの名作を残しました。
みずみずしい情感と、生命を燃焼させた作品を生み続けましたが、昭和四十四年十一月二十一日に病気のため五十六才で亡くなりました。お墓は調布の深大寺にあります。
隣りの妙久寺には、
繁縷や焦土のいろの雀ども 波郷
の句碑が建っています。
江東区
【撮影日:2020年5月9日】
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