俳句

しんしんと肺碧きまで海のたび

しんしんと はいあおきまで うみのたび

無季俳句の可能性を広げた早世の俳人の名句

しんしんと肺碧きまで海のたび「天の川」九月号(1934年)初出の篠原鳳作の俳句。無季俳句指折りの秀句とされるこの句は、「天の川」発表と同時に、俳誌「傘火」にも「海の旅」の連作のひとつとして発表されている。因みに「海の旅」は、

 満天の星に旅ゆくマストあり
 船窓に水平線のあらきシーソー
 しんしんと肺碧きまで海のたび
 幾日はも青うなばらの圓心に
 甲板と水平線とのあらきシーソー

これを発表した年の篠原鳳作は、英語教師をしていた沖縄県立宮古中学校から鹿児島二中に転任している。


「しんしんと肺碧きまで海のたび」は、「しんしん」という擬態語が効果的に使用された俳句である。長い船旅であることが上手く強調され、青い海しか見えない情景が見事に描写されている。それとともに、「しんしん」は「岑岑」にも通じ、病弱である自らの体に悪影響を及ぼしていることをも暗に示している。

普通に意味を取れば、「肺まで海の色が染みつくほどに静まり返った海の旅だな」という感じになる。広大な海とちっぽけな自らの肺を配置することで、孤独と不安が滲み出した傑作となっている。それは、季節の移り変わりによっても動かすことのできない、鳳作の日常的・根本的な感情が表れたものでもあっただろう。

▶ 篠原鳳作の句

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