うみにでて こがらしかえる ところなし
山口誓子の俳句。昭和19年(1944年)11月19日、療養先の伊勢富田(現三重県四日市市)で詠まれた。同じ日に「ことごとく木枯去って陸になし」の句があり、木枯をさらに主体化したものが、この「海に出て~」の句であると語っている。
昭和17年の自身の句「虎落笛叫びて海に出て去れり」を下地にしており、「財界」昭和32年5月号では「特攻隊の片道飛行のことを念頭に置いていた」と語っている。
山口誓子句集「自選自解」(1969年)には、「私は海の家にいて、頭上を吹き通る木枯の音を聞いて暮らした。その木枯は陸地を通って海に出る。すぐの海は伊勢湾だが、渥美半島を越えると太平洋に出る。太平洋に出た木枯は、さえぎるものがないから、どこまでもどこまでも行く。日本ヘは帰って来ない。行ったきりである。『帰るところなし』は、出たが最後、日本には、帰るべきところはないというのだ。」とある。
木枯の言水と呼ばれた池西言水の、「木枯の果はありけり海の音」を下地にしているとの説もあるが、誓子は否定している。
▶ 山口誓子の句