三冬の季語 都鳥
チドリ目ミヤコドリ科に分類される鳥類の一種にミヤコドリがあるが、古来、和歌などで詠まれる都鳥はチドリ目カモメ科カモメ属に分類されるユリカモメ(百合鷗)のことだと言われている。日本には冬鳥として、ユーラシア大陸北部からやってくる。
百合鷗のことを都鳥と称するようになったのは、伊勢物語の第九段「東下り」の件に因るとされる。
「なほ行き行きて、武蔵野の国と下つ総の国との中に、いと大きなる河あり。それをすみだ河といふ。その河のほとりにむれゐて思ひやれば、限りなく遠くも来にけるかなとわびあへるに、渡守、はや舟に乗れ、日も暮れぬ、といふに、乗りてわたらむとするに、皆人ものわびしくて、京に思ふ人なきにしもあらず。さる折しも、白き鳥の嘴と脚と赤き、鴫の大きさなる、水のうへに遊びつゝ魚をくふ。京には見えぬ鳥なれば、皆人見しらず。渡守に問ひければ、これなむ都鳥といふをきゝて、
名にし負はゞいざことゝはむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと
とよめりければ、舟こぞりて泣きにけり。」
とある。
京都で百合鷗が見られるようになったのは最近のことであり、上記のような「白き鳥の嘴と脚と赤き、鴫の大きさなる、水のうへに遊びつゝ魚をくふ」という描写から、伊勢物語の都鳥は百合鷗で間違いないと考えられている。
なお、伊勢物語中の「名にし負はゞ~」の和歌は、在原業平の歌として古今和歌集に載るもの。在原業平が東下りしたかどうかは諸説あるが、浅草の「言問橋」の名は、この和歌が由来となっている。また、東京はこの物語をもとにして、1965年に都鳥(とちょう)を「ゆりかもめ」とした。
ただし、伊勢物語より100年ほど前の万葉集にも「都鳥」の和歌が一首あり、大伴家持は
舟競ふ堀江の川の水際に 来居つつ鳴くは都鳥かも
と歌っている。この鳥が何を指すかは分かっていない。
都鳥の語源は、その名の通り「都」に結びつけるものもあるが、伊勢物語の記述を引けば不自然となる。「ミャー」と鳴く鳥という説や、「雅なる」鳥との説もある。
【都鳥の俳句】
頭上過ぐ嘴脚紅き都鳥 松本たかし